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65話 昔聞いた噂②

誰が見てもひと目で「そこが噂の場所だ」と解る有様だった。後輩の話の通り、弾き語りの人達が道のかなり先まで点在していて、その数はおそらくは10組ほどだろうか。ひとりで演奏している人、二人組などの違いはあるものの、ギターのネックだけが共通していて、ちょうど防波堤に釣り竿が並んでいるようなのどかな光景だった。まるで弾き語りの見本市のようではないか。
かすかにだけれど、どこからかテンホールズハーモニカらしき音も聴こえて来る。それがブルースの演奏なのかどうかまでは分からないけれど、明らかにそのような空気感だけは漂っていた。

(とうとう見つけたぞ!間違いなくここだろう!)
僕は興奮から足取りも力強く自分の影の指す方向にむかって歩き始める。さぁ、これからが今日の本当の目的だ。僕はシンプルにブルースを一緒にセッション演奏してくれそうな相手を探し始めた。目的がはっきりとしていた分、その動きには迷いが無かった。
まず全体像を把握しておくのが先だ。この通りがどこまでつながっていて、どういう集まりなのかさえ、僕には全く分からないのだから。そのために、ただの通行人として、やや足早に通り過ぎてみる。

通りをまっすぐに進み、チラチラと横目で観ながらも、決して立ち止まりはしない。
この時、僕の方にも声を掛ける相手に対して、ある程度の基準くらいはあった。当然、歌や楽器が上手ければ好都合で、話し掛けやすそうな人ならこちら側は大助かりだ。もちろん相手がテンホールズハーモニカを吹いておらず、実はそのブルージーな音色を求めていれば何よりだ。
自分は一方的に相手の品定めをしているようなものなので、それが伝わらないように注意をしながら歩いて行く。

やがて通りの端までたどり着いた。角を曲がるとまた別の通りがあり、驚いた事に、そこにもまた別の弾き語りの人が数名ほど集まっていた。
噂の中にも出て来るのだけれど、この通りから少し離れた通りに、アイドルのスカウトマンなどがいる事が多いらしい。見た感じでは、彼らからはホコ天に集う顔ぶれのような「有名になりたい!」という気迫は感じられないものの、それでも芸能界へのあこがれを持つ人達が集う空気が、自然と目立ちたい人達を引き寄せているのかもしれない。

せいては事を仕損じる。一通り弾き語りの人達の数くらいは確認ができたけれど、そのまま簡単に声を掛ける訳にはいかない。僕は自分が冷静になるため、あえて一旦入ろうとしていたもとのラーメン屋へと戻り、腹ごしらえをしながら、今観て来た弾き語りの人達に声を掛けるための「一人会議」を行う事にした。

客がひしめくテーブルにハーモニカの入った布バッグをガチャリと置くと、手早くラーメンの注文を済ませる。正直、ラーメンの種類など今はどうでもよく、麺の硬さなどの質問にいちいち苛立つほど焦っていた。もうもうと豚骨の香りが立ち込める中で、僕の一人会議は密かに始まった。

前回は「ハーモニカを吹いている」と言っただけで拒絶をされたくらいなので、もう以前のような、会話の行き違いによる失敗は、絶対に避けなければならない。かと言って弾き語りをする人なんて高校から専門学校の間で見た数人の友人くらいしか知らず、こちらから話掛けるイメージがまるで浮かんで来なかった。
声を掛けるのもだけれど、自分が「テンホールズハーモニカを吹ける」と言い出すタイミングが、最も重要な部分だった。それはイコール「自分とお付き合いしてください」という告白になってしまうようなものなのだから。

全くおかしな事になったものだ。そもそもは、弾き語りの人に声を掛ける事に失敗して、勘違いをされて拒まれた事への腹立ちから、会社で路上演奏の話をしてしまい、面倒な先輩に目を付けられ手痛い説教を喰らったのだ。その説教に腹を立て、回り回ってよくやくこの地を見つけたというのに、これからの声掛けでまた失敗をすれば、新たな腹立ちを生み出す事にもなり兼ねない訳だ。考えてみればなんとも滑稽な状況だった。
目の前に置いたハーモニカの入った布バックを見つめながら考えていた。こんな10センチほどの小さな楽器に出会ったせいで、僕はこんなにも振り回されているのだ。以前は路上の乱闘に巻き込まれ掛けたというのに、まだ懲りていないのだ。
そうはいっても、もはやこのままただ帰るという訳にもいかず、僕の頭の中では忙しく一人会議が進んで行く。

ざっと観た中でも、ほとんどは自分があまり興味のない感じの音楽の演奏ばかりだった。フォークシンガーの代表である「長渕 剛」や「浜田省吾」のカバーのような演奏ならまだしも、初めて観る相手のオリジナルソングなどでは、ハーモニカ以外なにも知らないその頃の自分では、興味の持ちようも無かった。
それに加えてブルースを軸にしたような演奏となると、自然に候補者は絞られ、あとはそのメンバーの比較検討作業のみとなる。とはいうものの、もともと音楽的な知識が乏しい訳だから、話しやすそうかどうか、危険な相手ではないかくらいの、一般的な基準しか無かった。
気がつくと、いつ届いたのか、さらにいつ食べ終わったのかさえ解らぬまま、僕の前には空になったラーメンどんぶりがあった。
初めての豚骨ラーメンを堪能できぬまま、僕はハーモニカの入った布バッグを小脇に抱え、忙しく店を出た。

ラーメン屋を出ると、あたりは夕暮れになっていた。弾き語りの人達が集まる通りでは、早い人だとすでに演奏を終え、楽器を片付け始める雰囲気さえあった。
僕はその様子に焦りながらも、はた目にはそう見えぬよう、あえて普通に歩きながら候補に選んだ数人の演奏を、再度観に回り始める。
ここからは一人会議で決めた「たまたまラーメンを食べに来たら、聴こえて来た演奏の音に、気まぐれに足が止まった人」という設定を、言い訳のようにスタートさせた。ハーモニカを持っていたのも「偶然」だ。

もう1時間もすれば辺りは完全に暗くなりそうだった。そのせいか全体的にどこのチームの演奏も、その日のラストナンバーに向かうような盛り上がりを感じさせて来る。
この後、夜は完全に誰もいなくなるのだろうか。それとも、噂に聞くように、夜はブルースセッションなどで盛り上がるのだろうか。
お目当ての弾き語りの人の数は少ないので、20分も掛からず回り切れるはずだ。かと言って、興味のない人の前を駆け足で去るのもおかしい。そのさり気なさのサジ加減が実に難しかった。観る事は観る、けれど立ち止まりはしない。あくまで僕はラーメンが目的で、たまたまこの路地を通った人という設定なのだから。
僕は誰に観られている訳でもないというのに、焦る気持ちを誰にも悟られぬよう、必死に自然に振る舞った。

通りの端から端まで一通りの確認が済み、自分なりの聴き比べから、最終候補を2組のデュオ演奏者に絞り込む。
2組ともブルース中心の選曲をするギターの弾き語りのデュオだ。1組は2人ともギターが上手く、そしてハーモニカが入ってはいない。僕には好都合だ。
そしてもう1組の方はひとりが演奏中に一旦ギターから手を離し、両手で簡単なハーモニカも吹いた事があったけれど、ブルースの吹き方でもなく技術的には「明らかにヘタ」だった。これは僕には不都合だけれど、彼はハーモニカの専任担当という訳ではなかったので、候補に上げる事にした。
頭の中でこの2組を比べた結果、僕はあえて、ハーモニカを吹いた方のデュオに声を掛けてみる事を決める。

なぜそうしたのか。それは自分の見立てでは、ハーモニカに合うレパートリーを持ちながらも、それを吹ける技量はないように感じたからだ。
けれど、僕の方が遥かにハーモニカが上手いので「僕に任せろよ」という強気な出方をするつもりかというと、そうではなかった。実はさっき観て回った時、たまたまタイムリーに、決定的な会話を耳にしていたからだった。

片方が、からかうように言った。
「お前って本当にハーモニカ下手だな。勘弁してって感じ」
それをもう片方が、やや怒るように返した。
「うるせぇ!じゃあ、お前やれよ。俺はもともと下手なんだからよ」
ハーモニカだけを一生懸命に頑張って来た僕からすると、聞いていて少々惨めになる押し付け合いではあったものの、それはまさに運命のようなやり取りだった。僕にとっては渡りに船とばかりのシチュエーションではないか。

あたりはさらに暗さが増して行き、ギターをケースにしまう人が増えて行く。焦りから心臓の鼓動が激しくなって行く。
僕はひそかにほくそ笑みながら、とにかく焦っているようにだけは見えないように向きを変え、お目当ての二人のところに向かって歩き始めた。
僕はその通りにいる他の誰よりも緊張していた。

つづく


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