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117話 キッチン・ブルース①

僕が厨房に入った事で、明らかに食事の注文が増えていた。
マスターが考えていた通り、店の弱点はフード類が無かった事で、調理のためのスタッフを入れたという事がその分かりやすい分岐点となったのだ。
おかげで、僕は厨房仕事をこなしつつ酒の注文について学ぶ期間もとれ、バーテン見習いのスタートとしては全てが順調だった。
店員として「セッションに出るべきか出ないべきか」などと考える必要も無かったほどに、調理仕事を中心に忙しい日々が過ぎて行った。

ただ、僕を好意的に思ってくれていた常連さんの中で、予期せず「広瀬の扱いが可哀想だ」という話が出始め、やがてそれが裏目に出てしまう。つまり「マスターが僕をこき使い、セッションに出させないようにしているのでは?」という、うがった見方もあったのだ。
現に、他の若手スタッフ達は全員が、気軽に客とのセッションに参加していた。今までもそうだったし、それには何の問題も無かったのだ。彼らだってそれができるから入ったバイトだったのだろうし。
それに引き換え、僕は彼らより歳がかなり上だったので、明らかに仕事をせずに遊んでいる感が強く出てしまう。年配の客には特にそう見えるはずだろうから、あえて積極的にセッションには参加しようとはしなかったのだ。

一度、あまりに強引にセッションに呼ばれ、半ば強制的にステージに上げられた事があった。僕は注文が立て込んでいたのでキッチンが気になり、早く切り上げてキッチンに戻りたいと思っていた。
そんな僕の落ち着かない態度に加え、周りの参加者を客として気を遣う態度や、自分のソロを早めに切り上げ、他の人にソロをふった事などが反感を買ってしまい「お仕事モードで対応されてシラケた」と揶揄される結果となってしまった。
これにはマスターも困り、想像もしなかった流れに頭を抱えていた。バーテンダーは人気商売。可哀想に見える僕もまずいし、マスターが意地悪に見えてはさらにまずいのだ。

そこで、マスターはまた新たな一計を案じる。発想を転換し、むしろ僕を絶対に出す事にしたのだ。それがセッションの仕切り役、つまり司会だった。まぁ、それぞれのイベントにホストバンドがいるので、冒頭の挨拶くらいで十分なのだけれど。

照明を整え、マイクをセットして、シールドをほぐし、PA(音響のバランスを調整する機械)をチェックしてから、マイクで軽く話すまでがひとつの流れ作業なので、僕にとってはさして気を使うものでも無かった。
どのイベントでもセッションが始まる段階では当然盛り上がってはいないので、誰だってまだ指名をされたくはないものだ。たとえホストバンドのメンバー達だってボランティアで引き受けているだけなので、本来カッコ悪い事まではしたくはないはずだ。
そこに来て「今からセッションを始めます!ではまず、私から一曲!」というのは、正直誰もが助かる、便利な存在だった。
この方法なら常連さん達から「たまには広瀬を出してやれよ」と言われたところで、これからは「最初に演奏してましたよ」で済む訳だ。
「え~、もう終わっちゃったの?なら最初から来てれば良かった!広瀬さんのハーモニカ聴けたのに!」とまで言われるのならばこちらも嬉しいのだけれど、残念ながらそういう話でもなかった。手が空いているなら、一緒にセッションを楽しみたいというレベルで、特に強い要望では無く、社交辞令に近いものなのだ。
強めに僕とのセッションを希望していた人達だって、まだ演奏に慣れていないビギナーと組まされるより、せっかくなら店で働いているくらいの専門的なプレーヤーと組みたいと、結局はそんなところだった。

そんな訳で、セッションイベントが始まったばかりで吹く僕のハーモニカは、もっとも気の入らない、どうでも良い作業のようなものとなった。音がきちんと出ていなかろうが、フレーズが安定していなかろうが、誰にも気にもされなかった。
店が始まる頃はまだマスターもおらず僕1人なため、最もやる事が多い上に、常に頭の中はフル稼働の落ち着かなさになっている。さすがに鍋を火にかけてとまではいかないまでも、仕込みや片付けなど何かをやり掛けている状態でステージに上がる事になるので、正直とっとと終わらせて仕事に戻りたいというのが僕側の本音だった。
かつては通い詰めるほど大好きなブルースセッションだったのに、よもや演奏中に「ワンモア!ハープ」とまで言われ(なんだよ、もう十分吹いたよ)と、イラッと来るようにさえなってしまうなんて、夢にも思わなかった。

今までならお金を払っていたセッションを、日払いの給料をもらっている時間の中で行える訳なので、その点は嬉しいはずだろうとよく言われたのだけれど、僕の側はそうでも無かった。
例え演奏をしている間だって(目の前のテーブルの灰皿を変えなきゃ)とか(あっ、あの人、今ドリンク空になった)とか、中途半端に店員の自分が顔を出し、常に気が散った状態でいるのが普通だった。
一度マスターが電話中で、僕のオープニングの演奏中にお客さんが入って来た事があった。一見さんで、店の様子が分からず、店員を探しているような素振りだった。
僕は別のメンバーにソロを振り、すぐにステージからカウンターに移り、おしぼりを渡しに行き、注文を取り、ドリンクだけを出し、また当たり前にステージに戻った。
頃合いを見計らい再び演奏に加わり、ハーモニカの音を重ね、そのまま曲をしめくくり、マイクでセッションイベントのスタート告げながら、軽い笑いの中、僕はステージを降りた。
観ていた客も笑い、初めての来た方の客は僕のハーモニカ演奏をジャマしたようで申し訳無さそうにしながらも、それが後の会話が弾むきっかけともなり、何の問題もない微笑ましいひとコマだった。
けれど、その時の僕の態度を良しとしなかった客もいたのだ。「セッションという行為をあまりも軽んじている」と。

他にも、僕が演奏をしながらでも、ちょっと手が空いてる間に片付けをしたりと、何かしら店の作業をやるという事に腹を立て「なら出て来るな」という人も現れた。それは決まって音楽に熱があり過ぎる人達で、ステージは神聖な場で、セッションは魂の交流のようなものだと考える、極端な人達だった。
確かに自分でもセッションに通い始めの頃は、何かと真剣さが空回りしていたろうし、適当な参加者には腹を立てたかもしれないけれど、それが店員との関係にまで及ぶとは思わなかった。

一方、僕が冒頭に出るという事で、予想外の望ましい流れもあった。ハーモニカの話をしたい人やビギナーなどが、店がオープンするやいなや来てくれる事もあったのだ。
まだ人が集まっていない内なら十分にハーモニカの話や質問もしてもらえるし、軽くならその場でハーモニカの音を出して伝える事もできる。そして、しばらくすれば、冒頭の僕のハーモニカ演奏も聴いてもらえるという訳だ。
当時はまだYouTubeなんてものも無いし、テンホールズハーモニカの情報なんてかなり限られていたので、特に地方都市などでは、近郊の田舎から気合を入れて情報を求めに来る人もいて、そう頻度や人数は多くはなかったのだけれど、その人達は明らかに僕が店に入った事で作れた、新規のお客さんだった。

もちろん最初は僕だけが話し相手でも、なるべく人当たりの良い常連さんに紹介し引き継いでもらう事になる。ブルースという共通項がある訳だから、誰でもすぐに常連さん達の輪に溶け込んで行く。そうなれば、僕にハーモニカの情報を教えて欲しいというより、1曲でも多くセッションにハーモニカの演奏で参加したいとなって行く方が自然だ。
そういった人達の中で数名は、ものの数ヶ月でみるみる態度が代わって行き、常連に交じって僕をむやみにからかって来たり、時に、最初の尊敬に満ちた態度からいきなり同じ楽器のライバル関係になったような、敵対心むき出しの状態になって行く場合もあった。
酒が入るとさらに状況は悪くなり、中には「なぁ、俺の事、腹の中ではハーモニカ下手くそだって、馬鹿にしてんだろ?なぁ?そうだろ?」なんて、ひどく絡まれた事もあった。

いくつかのトラブルを経て、それを目の当たりにしたマスターが僕に残念そうに言った。
「まぁ、こういう場所だと、酒を呑んでいる状況なんで、しょうがないんだけどさ。多分、広瀬さんみたいな人に、一方的に上からモノが言えるのが、よほど気分が良いんだろうねぇ」と。
全く、さんざんな話だった。
やはり好きな事は、仕事にすべきではないと、そういう事なのだろうか。
僕はそんな事が増えて行くたび、どんどんセッションというイベント自体がゆううつなものになって行った。

つづく


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