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118話 キッチン・ブルース②

店の仕事に慣れた僕は、本格的に、接客というものに興味が湧き始め、反対に音楽の方からはどんどん意識が離れて行った。
マスターの接客を横で見ていて、話を聞く際の呼吸の見事さに初めて気づいたのだ。
一見すると、ほとんどの客から軽んじられ、からかわれたりバカにされたりもするのだけれど、その押し引きは見事なものだった。客が話したくて来たのか、聞き出して欲しいのかを見極め、ほぼ確実に相手の表情を和らげて行く。
相手はやや肩の力が抜けたようになると、「よし、じゃあもう一杯行くか」なんて、不思議と注文を追加したりもするので、それは接客へのチップのようなものでもあった。

またその接客は、客の全員に平等なようで微妙な差異もあった。
すごく雰囲気の良い楽しい客だろうが、常連客達の多くに人気があろうが、マスターはある一定以上の接客はしないように見えた。目立つ人には特にそうで、おそらくはそれが店内で客同士のねたみなどを作り出さない、密かなコツなのだろう。
ただ、その加減が傍目には同じように見えるのだけれど、マスターの側では微妙に変えているのだ。それは上手く言い表せないもので、呼吸のようなものとしか言いようがないのだけれど。

さらにマスターは、日やコンディションによる違いをまるで感じさせなかった。疲れていようが気分が悪かろうが、それを僕も含め店の誰かに、感じさせた事がなかったのだ。上機嫌に見えた日に、ものひどく嫌な目に遭っていたのだと後で知らされた事すらあった。
「ね?広瀬さん。僕、本当に、参っている事、わからなかったでしょ?そういう部分が、実はとっても重要なんですよ。この仕事って」
そう言った時のマスターの顔は、まだ見習いの僕には2、3割カッコ良く見えたものだ。

僕の積極的な面も、Barという場では裏目に出ていた。僕はよくヘタな笑いをとろうとして自分の話に夢中になるのだけれど、マスターからは「必要なのは聞き役だ」とたびたび注意をされたものだった。
面白いバーテンを見て笑うのは良くても、バーテンの話で笑わせて欲しい訳ではない。むしろ自分の話題でバーテンを笑わせて、気分が良くなりたい人だって多いのだ。
それに気が付いてからは、僕は(本当に自分には向いていない仕事なんだ)と思いつつも(いや、むしろこの機会に、このマスターのような聞き上手になるんだ)という、途方もない目標を持つようになった。

しばらく経ち、気がつけば僕の見習い期間は一段落していて、マスターは僕に、完全に1人で店番を任せてくれるようになった。一方マスターはその時間を、店の次の目玉メニューとなる中国茶の勉強や、新たにオープンする喫茶店の構想などに使っていたらしい。
僕は夕方頃店に着くと、まず鍵をあけ、テーブルと椅子のセッティングを済ませ、簡単な掃除と酒の配達などの受け取りを行う。
手が空き次第料理の仕込みに入るのだけれど、その週のライブやセッションイベントの性質も考慮し、よく出るものを予想しつつ作り置きをする。もちろんキッチンだけではなく冷蔵庫だって小さいのだし、賞味期限の問題もあるので適当な判断は出来ない。
それぞれが部分的な役割分担の範囲の仕事ではあっても、僕にとっては、半分は経営の練習をしているような気分だった。

開店前はライブのブッキング(イベント予約)やセッションの問い合わせの電話も多く、ある程度の用件を聞いておくのも僕の仕事だった。当時はメールなんて限られた人しか使ってはいなかったし、まだ問い合わせのハガキや手紙だってあったほどなのだから。
そして奥のキッチンで仕込みをしながら、お客さんが入って来しだいカウンターに移り、接客に入る。
店が始まってしばらくすると、マスターから電話が入り、僕はそれまでのお客さんの入り状況を伝える。今までならこの電話の時間帯くらいに、マスターが店に入って来ていたのだ。
人数や注文、常連の有無などの情報で、そのまま僕ひとりにどれくらい任せておけるかまでをマスターが判断し、その日の店の入り時間を決めるようになった。

僕ひとりという事は、当然ドリンク・フード全ての注文を僕が受けるので、調理が入るかどうかが問題となる。厨房にいる間は、誰もカウンターにいなくなるからだ。
これに対して常連が多ければ、安心して厨房に入れるのだけれど、稀に新規の客が羽振り良くボトルなんて入れてくれた日には、簡単には目を離せなくなってしまう。飲み逃げをされる可能性があるからだ。
そういった意味でも、常連さんは見慣れない客をなんとなくでも見ていてくれるので、見張り役のようでもあるし、何気ない協力体制で僕への食事の注文を待っていてくれたりもしてくれた。それ自体が、店員と常連客との連携作業のようなものだった。
そして簡単な司会をし、ホストメンバーによるセッション演奏が始まってしまえばもうこっちのもの。しばらくはドリンクのオーダーも出ないし、溜まっていたフードをまとめて作り、曲の切れ目にちょこっと顔を出し、追加オーダーがあるかどうかをチェックすればいいのだ。そうなれば店のサイズ的には、十分に一人でも回せる範囲だった。

やがてマスターが現れ、カウンターに入って来ると、すぐに客はいつもの悪態を付き始める。
「マスター、どこ行ってたんだよ?またパチンコかよ?」
「広瀬さんひとりに任せてよ。酷くねぇ~?なぁ、広瀬さん?文句言っていいぜ!」
「よし!じゃあ、マスター来たんだからさ、広瀬さん、ちょっと一曲、どうよ?」
一見するとみんなでマスターを悪く言っているように見えて、一気に店が湧く瞬間だった。みんななんだかんだいっても、マスターを中心に店に集まっているのだ。
僕はそんな様子が羨ましく、自分の新しい目標像を見つけたようにすら思えていた。

そしてマスターは、僕をセッションへと送り出す。
「じゃあ、行きます?広瀬さん」
僕は少々照れたようにしつつも、店に置きっぱなしにしている良く使うKeyをだけをさしたハーモニカベルトを手に持ち、「どうもどうも」と、ややおちゃらけながらステージに上がる。
明らかに今までより好意的な拍手が出るようになっていた。僕がまだ客のいない時間帯のオープニングを除けば、ほとんどセッションで演奏しなくなったため、新鮮に感じるようになったのかもしれないけれど、店員としてがむしゃらに頑張って来た事で、少なくとも、みんなが集う場所を守ろうとしている姿勢が、評価され始めたのかもしれなかった。

すぐに演奏が始まる。
当たり前の様に演奏にはすぐに溶け込めるのだけれど、どうしてもステージから見える景色の中に、参加者のドリンクの減り具合などが気になってしまう。
そんな僕の落ち着かなさとは裏腹に、セッションメンバー達は僕をねぎらうような気持ちで、演奏に気合いを入れて行くのが伝わって来る。
それは、今の今まで注文を受けていた側と音を重ねているという、独特な不思議さもあるのかもしれない。もはや僕がカウンターの中に居るのが自然になったからこその、見え方の変化なのだろう。
「それでは、行きますか?ヘイ、スーパー・ハープ!広瀬さぁ~ん!」
ホストバンドのリーダーが僕をかなりフィーチャーしたソロをふって来る。共に演奏をする側も、聴いている側も、かなり僕に注目をしているのがわかる。それはハッキリとした、客側から店への気遣いだった。

演奏が終わると、割れんばかりの拍手の中をカウンターの中に戻る途中、ちょっと茶化すように握手を求めて来る常連客がいる。
僕は恐縮しつつも、握手をしながらお礼を言おうとすると、そこで「広瀬さん、注文。あんかけスパ、あと生ビールね!」と一言。
これを聞いた全員が笑い、僕もズッコケたような自然なオチを付ける事で自分の出番をしめる事ができた。これもまた、常連との集団芸のようなものだった。
カウンターを通り奥に行く僕に、マスターも軽く「お疲れ」とは言うものの、さっと渡して来るのが、僕が演奏している間に来たフードメニューの追加オーダーだった。
僕はそれをポーズで少し面倒そうな顔をしながら受けとり、生ビールの方の注文をマスターに引き継いでもらい調理に入るのだけれど、キッチンに入る頃には不思議と顔がニンマリとしてしまうのだった。
それは演奏のできや客へのウケ方などから来る満足ではなかった。自分だけが感じる「プロっぽさ」への快感だった。演奏はもちろんちゃんと演る、けれどお客さんの状況も見ているし料理の方も問題はないという「仕事ができる人」になれたような万能感だった。

僕はその感覚の先に(ひょっとして、自分がお店をやるようになったら、もっとこのプロっぽさに酔いしれていられるのかな)と、甘い想像をしていた。
このBarは音楽の店なので、めったに喧嘩なども起きず、大きなトラブルらしいものも無かったので、Barの良い面ばかりを見ていられるようなところがあった。ましてや雇われのバーテンダー見習いなのだから責任なんて何もない。仕事が大変でも、本来の水商売の「負の面」を知らずに済んでいたのだ。
マスターのように聞き上手でもないし、人柄で人を惹きつけることまでは出来ないまでも、やがては今よりは接客に向いた人になれるだろうし、この仕事が当たり前に体に馴染む日が来るだろう。そうなれば、僕は自分に足りない魅力の分を、ハーモニカという武器でなんとかできるはずだ。それこそ、隠しておいた必殺技みたいに。

やがてバーテンダーになって初めて場を支配し切るという感覚を持つようにまでなった。店が狭かったせいか、店の隅々までが分かり、まるで自分の一部のように感じながら、その中でハーモニカの音をコントロールしている感覚だ。
調子の良いアンプと悪いアンプ。勝手が良いマイク、動きやすい立ち位置、PAのクセや照明の効果までの全てを網羅しながら出すハーモニカの音は、何の緊張も気負いも無く、自然で伸びやかなものになって行くのが分かった。さらにそれを仕事の延長で積み重ねて行ける事で、僕は堂々と、集中しながら音を追求する事が出来るのだ。
それは楽器の鍛錬では無く、ライブの積み重ねのようなものだった。常に飲食を含めた接客を伴っていたので、ミュージシャンというより、芸人の下積みをしているような感覚だ。

もちろん勉強をさせてもらった先輩バンドマン達や、まれに来店する大物ミュージシャンを店員という立ち位置で間近に見られる刺激は、確固たるものとして自分の血肉となって行った。それは楽器や演奏うんぬんではなく、ステージ構成や生き様といった、表現者の輪郭となる大きな部分だった。それがあって出て来る言葉、それがあっての楽器の音色なのだ。
ただ、悲しいかな、給料をもらい仕事をしながら一方で芸事を磨く中で、その芸自体では、所詮どこまで磨いても収入と呼べる仕事にまでは出来ないという結論が、すでに出てしまっていた。
たまに出入りしていたメジャーなミュージシャンですら、ライブ興行ではほぼ採算がとれないのを、毎回のように見ていたのだから。
だからこそ(自分の将来向かうべき道は「店を持つ事」なんだ!せっかくのハーモニカの演奏力を武器にするためにも。それ以外には、今までの自分の経験を活かせる道はないんだ!)と、強く思い込んで行った。
それには、まず飲食業の経験と、マスターのような接客向きの対応を身につけてみせる事。それだけが当時の僕のハーモニカへの情熱を正当化でき、人に理解してもらえる範囲の、僕の新たなる常識的な人生設計だった。

自分の城を持ちたい、普通はそんな風に考えて将来の店への夢を持つのだろう。あるいは、音楽だけをやりたい、それが出来ないから、せめて音楽に関係のある店で働きたいという人も多いだろう。自分の音楽を自分のやりたいようにやるために、そのベストな環境として、自分の店を持つという人もいるはずだ。
けれど、僕はそのどれでもなかった。いろいろな事をしながら、いざという時に出せる必殺技のようなハーモニカの演奏、そんな想像に酔いしれていたのだ。そんなオマケのような部分を中心に、他のもっと大事な部分の方針まで決めようとしていたのだった。

マスターがひょいっとキッチンに顔を出しながら、僕に言った。
「広瀬さん、手空いたらさ、僕のスパお願いね。なんか胃がもたれないような、さっぱりしたやつ。前に作ってくれた『サラダスパ』みたいなやつね。頼むね」
僕は帰って来た皿を素早く洗い、次の料理の湯を沸かし、空いた片手でフライパンを空焼きしながら、ぼんやりとステージから流れてくるブルースセッションを聴いていた。
その時にたまたま流れて来たのは、僕にとっては懐かしいブルース、ジミヘンの「リトルウィング」だった。ロックの定番曲ではあるけれど、ブルースの店のセッションでも人気の曲だ。
僕は追加となったマスターの分のスパ麺を足して、鍋で湯がきながら、店に置いているハーモニカベルトに手を伸ばし、Cのkeyのハーモニカをとると、普段は使わないポジションで音を合わせてみる。それはCのハーモニカでEmのkeyを演奏する、5th(フィフス)ポジションというマニアックな奏法だった。
ある程度音を重ねて、それが(今の自分になら吹ける)と確認すると、僕はまたハーモニカベルトにCのハーモニカを戻し、空焼きしていたフライパンに油をひき、あんかけスパの具材の方を炒め始めた。
誰に聴かせる訳ではないハーモニカだけれど、かつては落ち込むほどまるで吹けなかった曲が、今では何の苦もなくできるようになった自分に得意になる。

僕はいつもの慣れた調理を続けながら、頭の中では久しぶりに東京にいた頃を思い出していた。
当時、セッションに通い始めの僕に親切にしてくれた「ジャガ」というセッション仲間がいたのだ。彼の口利きで、僕はとあるBarのセッションのホストバンドを経験し、そこでこの曲「リトルウィング」に打ちのめされた事があった。
当時はジミヘンすら知らず周りに驚かれたけれど、今は当たり前にブルースのBGMが流れる店で過ごし、随分とプレイヤー名や曲名も覚える事ができた。今では、キッチンで調理仕事をしながら、片手間でも音を重ねられるくらいにまでなったのだ。
今でもジャガはサックスを吹いているのだろうか。音楽の店で働いていれば、いずれは会う事もあるのかもしれない。それこそ、ある日ステージから聴こえて来るセッションの音の中に、彼の優等生っぽい真面目なサックスの響きと、観客を巻き込もうとするサービス精神旺盛なトークが混じる日が来るのかもしれない。

その時、僕は何から話そうか。
まぁ考えてみれば、あの頃の僕が数年後には東京を離れ、名古屋のライブBarでバーテンダーの見習いをやるようになるなんて、お互いに想像もつかなかったはずた。

つづく

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