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100話 ウィリー・ブラウン

シャンディさんは、すっと人差し指を天井にかざし、声高々に叫んだ。
「ヘイ!!ミスター・ブルースハープ!!」

その瞬間、時間が止まったように感じた。
まるで『ジョジョの奇妙な冒険』の宿敵ディオがスタンド「ザ・ワールド」を発動させたかのように。
奥の暗がりには「もう指が限界」というホスト側のベーシストの、苦渋の表情が見えていた。
「スマン、頼む」と、目で僕に語り掛けて来るような、ドラマーのマスターの祈るような表情も見える。
そしてその向こうには、「イェイ!!」と力強く親指を立てる、セコンドのジャガの満面の笑顔が。
全てはスロー再生の中で見え、なぜかモノクロで無音の景色だった。

僕は急に冷静になった。
そう、これは人間的なレベルこそ低くとも、かつて観た映画「クロスロード」のワンシーンに似ていなくもないではないか。
店はすでに暴走状態、この状況を鎮められるのは、伝説のブルースマン「ウィリー・ブラウン」の奇跡のハーモニカの響きだけ。
これまでちゃんとした演奏の機会にこそ恵まれなくとも、長い月日を掛け、密かに鍛えられ続けていた僕の一部が、今、この状況に自然に反応しようとしていたのが解った。
それは、今までの経験の中で培われて来た、僕自身も意識していなかった、普段は眠っている反射神経のようなものだった。
素早くテンホールズハーモニカをポジション・チェンジ(ハーモニカKeyの方を持ち替える技法)させ、映画「クロスロード」で観たように、ファーストポジションの耳をつんざくような凄まじいまでの高音を、マイクを強く握りしめ「ピィーッ」と鳴らしてみせる。
ハウリングとはギリギリ違うそれは、強制的に全員の注目を引いた。

シャンディさんはその音を聴き逃さず、絶妙な間で「イェーイ!!」とひと叫びし、人差し指を客席を撫で回すようにゆっくりと水平に横切らせ、ギターから僕のハーモニカ・ソロに注目を集めさせる。
僕は本能の赴くまま、手の中のハーモニカに、力いっぱい荒っぽく息を注ぎ続けた。それは、車のエンジンを無理矢理に回転させるような息の押し出し方だった。ハーモニカはビリビリと限界のところで持ち堪えていてくれた。これほどの一体感は、長い経験の中でも初めての事だった。
たった12小節のソロだった。客席からもステージからも独特の表情が見えた。それは、喜んでいるようには見えなかった。けれど、邪魔をされて腹を立てているようにも見えなかった。ただ全員が、僕の方を呆然と見ていたのだ。
僕はその間を、全身全霊で吹き切った。

さらにシャンディさんは、ハーモニカ・ソロが終わり、次に自分の歌に戻るタイミングも見逃さなかった。彼女のシャウトは爆発力を持って、曲を元の軌道に戻したのだ。
それはまるでステージの全員が、時限爆弾か何かの爆発前に、誰一人怪我人を出さずに無事に脱出できたという、ハッピーエンドを思わせるシーンのようだった。まさに映画のエンドロールが流れるがごとく、シャンディさんが最後の1コーラスを歌い上げながら、満足げな表情でハーモニカを吹く僕に寄り添う様は、ダイナミックなエンディングを飾っていた。
そして、そのシーンには当然客席からの僕への憎しみの視線が集中し、その映画の第2弾が、さらにバイオレンスなものになる気配を、早くも漂わせていた。

ドラムの最後の一打が終わるやいなや、見た事もない速さでスティックからマイクに持ち替えたマスターは「じゃあ休憩!!」と叫んだ。そのタイミングを見計らっていたジャガが、客席のライトを一気につける。
急に明るくなった店内。
異様な熱気だけが充満した空間に、自分のギターを握りしめた男達が、お互いの顔を見ながら、険しかった表情を緩め少しずつ我に返って行く。まるで魔法が解けたように。
異常な暑さと喉の乾きを全員が感じていたはずだ。爆音による耳鳴りが続く中、平静に戻った人から順に、なんとない気まずさでカウンターに集まり、ドリンクの注文をし始める。
そこには、汗を拭う間もなく、いきなりのゴールドラッシュに、ドラマーからバーテンへと戻ったマスターの姿があった。

今のステージジャックでギターで乱入した参加者達は、ステージの上から降りようともせず、そのままシャンディさんを取り囲み、終わったばかりの今のセッション演奏について語り合っている。ここまで来るとすでに彼女は時の人と言った感じだった。
「さっきはごめんね」と詫びる人、自分のギターは「どうだったか」を聞く人、飲み物をおごろうとする人、それを茶化しつつ自分も話に加わろうとする人。
ワイワイとした、Barというより洒落た居酒屋のような賑わいは、いつまでも興奮冷めやらぬといった感じで、今まで自分が通っていたセッションBarの渋めの大人の世界とはかけ離れたものだった。
休憩時の店の妙な明るさも手伝って、誰もが今さっきまでのマナー違反だらけの無法地帯となった気まずさをごまかすように、無理に場を盛り上げようとしているようでもあった。

それらのにぎわいから離れて、僕はひとり忙しくハーモニカのKeyを整えながらも、久しく味わっていなかった高揚感の中にいた。
(やったよな~、ウィリー・ブラウンみたいだったじゃん、さっきの僕って。ハープの高音で、ピーッてさぁ。上手く鳴ってくれたよね~、ほんと)
とはいえ、誰も僕のハーモニカなんて評価はしていないだろう。参加者のほとんどはギタリスト。どちらかといえば、僕はせっかくのギターの宴を終わらせたようなものなのだから。
僕は密かな自己満足を隠すように、わざわざ無表情でハーモニカKeyを数えていた。全部揃っているのだろうか。何本か店の床に転がってはいないだろうか。何と言ってもあんなに我を忘れて激しく動いたのは、初めての事だったのだから。

そんな時、ジャガが現れ、ぐいっと僕の肩を抱き寄せるように顔を寄せ、いつも以上にまくし立てて来る。
「いやぁー!さすがさすが!やっぱりここっていう時には、広瀬さんですよねー!ハープで見事にビシッと、乱入オヤジ共に喝を入れてやりましたよ!まさになんでもあり、まるでジャングルでしたからね!こんなにメチャクチャなの、私も初めてでしたよ!」
このジャガの言葉にどうしても我慢できずに、僕は顔をニヤけさせて答えた。
「そうだね、まぁ、さっきのは、割と上手くいったよね」
それでもやや控え目には言ってみた。「最高だった!!」なんて自画自賛まではなかなかできないものだ。
次々、僕に声が掛かり始める。
「よっ、ハーピスト!!お疲れさん!!」
それはホストバンドのベーシストだった。彼こそ真の貢献者なのだけれど、延々と弾かされたあげく、店内の誰からも「ありがとう」の一言も言われない報われない存在だった。けれどもその顔は爽やかなもので、首に掛けたタオルで汗を拭いつつ、脱力しながら言葉を続けた。
「ああいうのってさ、結構あんのよ。あるあるだよ。もっとひどいのもざらにあるよ。うんうん、あるある。ひどいひどい。前なんかさ、」
彼は鉄板のネタのように「空気の読めない人封じの技」を僕に披露してくれた。
僕はその話を聞きながら、初めて出会った者同士のぶつかり合いから予想外に起こってしまったトラブルを、自分の小さなハーモニカが奏でた音楽の力で乗り越えたという快挙に、実に爽快な満足感を味わっていた。

つづく

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