剣神リプレイに決まったときの話



今日は別のことを書こうと思ったが、放課後に生徒と話していて、この話を書いておこうと思った。
それはデモンパラサイトの剣神に出たときの話。
正確には、出る前の話。
力造くんとは、お互いがデビューする前からの知り合い。
彼は、その頃に「いつか、俺のリプレイに出てくださいよー!!」と言ってくれた。
「応よ!!」
と、出てやるぜと言わんばかりの威勢の良い返事をした。
この頃の俺は銀一郎さんとも出会っていないので、相当バカだったので許して欲しい。
そういう約束は、中々果たされないものだが、力造くんは律儀に覚えていた。
数年後「河村さん、俺のリプレイ出てくださいよ」と言ってきた。
「ええ!!」
と、俺は驚いた。
彼は、当時グループSNEで、俺はリプレイに出る人「リプレイヤー」と自分で作った役職を名乗っている実績の乏しいフリー。
俺が出るのは迷惑ではないか?
と、そっちのほうが不安だった。
しかし、この勝手に名乗ったリプレイヤーと名前が、日本ではじめて「ゲームデザイナー」と名刺に書いた銀一郎さん(鈴木銀一郎先生)に気に入られたのだからわからんもんである。

正直、俺はプレイヤーの候補に俺を出してくれたことだけで約束を果たしてくれたと思ったので、期待はしていなかった。
むしろ「中々決まらなくて……」て言う力造くんに、俺のせいで余計な時間を使っているのでは? と思っていた。

ある日、突然に携帯の待ち受けと着信音を変えようと思った。
ちょっと考えて、ロードオブザリングのアラゴルンを待ち受けに、メインテーマを着信にした。
その直後、手に持った携帯から「チャーン、チャーン、チャララ♪ チャララララララ~♪ ラララ♪」という着信音が鳴りだした。
慌てて出ると「リプレイ決まりましたよ」と力造くんからの報告だった。
俺の頭の中では、ロードオブリングのメインテーマが着信音からオーケストラに変わって流れていた。

正直、よく決まったなと思ったが、色々な要素が重なったのと、銀一郎さんと仕事をしはじめていたことが一つ。
あと、国際通信社の季刊RPGのインタビューで声優の古谷徹さんが、俺のプレイングについて褒めてくれたことがあったようだ。

このリプレイに出てから、俺の人生は大きく変わった。
今でも剣神のリプレイで演じたキャラの「オロシ兄ちゃん」と呼ばれることがある。

力造くんには感謝しても足りない。
結局、恩は返せないまま終わってしまった。
力造くんの命日に、これを書いても喜んでくれるかわからない。
でも、あいつはイイ奴だったと大勢の人に知って欲しい。


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