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いつも心に、漫画と音楽と。

クリエイター名を回収する粋な最終回みたいなタイトルになってきた。
まだまだ喋るよ、いつも心に半チャーハンです。

先日、学科内の企画で本授業の同じ受講生である、うらは🌼さんとご一緒する機会がありました。
話し掛けて下さり、クリエイター名を明かし合ったのですが、noteのチャーハンはリアルより陽気な人間に見えるそうです。おもしろい!

チャーハンさんと呼んでくださったのが何だか嬉しくて、思い出しニヤニヤしてしまいます。

🍥いっちょ考えるか、世界

前期授業も佳境に入ってきましたね。

今noteを書いている、この授業の最終課題は「私の信じる世界」をつくり、ここで文章化すること。私の信じる世界とは何なのか、その答えをこれから3週かけて考えていきたいと思います。

課題を受けてまず思い浮かんだのは「好きなもの」や「趣味」のこと。

私の心と生活を良い方向に振り回すのは、いつも「好き」であるし、現時点で「私の信じる世界」を見出すためのヒントは確実にそこにあるはず。

さて、では今回と次回は自分の「好き」を分析していこうと思います。分析とは名ばかりの、際限なく自分のことを語り続ける回になりそうなので別に読まなくて大丈夫です。

🍥いつも心に半チャーハンと、漫画

私が好いたもの史上、最古の記憶は、ピンク色。
思い返せば幼稚園の時、上靴入れも絵本かばんも体操着入れもピンクでした。でも10年後には黒色の服ばかり購入し母親から小言を言われる始末。

これはもう面影のない「好き」ですね。

ピンク色に次いで思い起こされる、そして今も身近にある「好き」は、漫画です。

両親が漫画好きで、うちでは漫画は自分でお金を使わずとも親に買ってもらえるものだったので、大きく捉えると、自分での能動的に切り開いた「世界」ではないかもしれません(そのため、後述するほかのコンテンツとは線引きをしておきたいところ)。

冨樫義博や浦沢直樹、荒川弘など、人気少年・青年漫画に夢中になっていた子ども時代でした。

古くは、父の部屋にあった『ブラックジャック』をよく読んでいた記憶が濃くありますが、とりわけ顔の皮下組織が露出する回に恐怖を抱いていたことを覚えています(口唇口蓋裂の手術とか、ネズミに顔かじられるやつとか)。

中高生になると、所謂ガロ系の漫画にハマり、丸尾末広や花輪和一の絵に惚れ惚れと魅了されていきました。この頃にはもう親の影響を超え、私による私の世界を拓いていますね。

ゴールデンカムイ展楽しみ〜。


🍥いつも心に半チャーハンと、音楽

本当に長いので読まなくていいです。

ところで、小中学生の時ってクラス替えの度に、自己紹介シートを書いて教室の後ろに貼り出しませんでしたか?  誕生日や好きな食べ物、好きな音楽、好きなテレビなどの設問に回答していくやつです。

あれ全然書けなかったんですよね。
特に好きな音楽……一時期某アーティストの某大ヒット曲名を書いていましたが、フルで聴いたことは恐らくないし、認識度はサビをちょっと知ってるくらい。

それでも当時の自分の中では、それが音楽における「好き」だったのだから、おもしろいです。興味深い。

時は流れ中学3年生、運命と言っていい出会いがありました。

同じ部活の後輩が、スピッツが好きで、色々とおすすめしてもらったのですが、それはもう瞬く間に虜になってしまったのです。

スピッツって今の20代の、親の車で流れてたアーティストNo.1ではなかろうか。私も例に漏れません。曲はどれも聴き馴染みがありました。

ではなぜこの期に及んで強烈な恋に落ちたのか、それは、スピッツの歌詞の世界です。

ガラクタばかり ピーコートの ポケットにしのばせて
意地っ張り シャイな女の子 僕をにらみつける

おかしな恋人 ハチミツ溶かしてゆく
蝶々結びを ほどくように
珍しい宝石が 拾えないなら
二人のかけらで 間に合わせてしまえ
スピッツ「ハチミツ」より抜粋
可愛い君が好きなもの ちょっと老いぼれてるピアノ
さびしい僕は地下室の すみっこでうずくまるスパイダー
洗いたてのブラウスが今 筋書き通りに汚されて行く
スピッツ「スパイダー」 より抜粋
君は小さくて 悲しいほど無防備で
無知でのんきで 優しいけど嘘つきで
もうすぐだね 3月の君のバースデイには
ハンティングナイフのごついやつをあげる 待ってて

君がこのナイフを握りしめるイメージを
毎日毎日浮かべながらすごしてるよ
目を閉じて不完全な部屋に帰るよ
いつになっても 晴れそうにない霧の中で
スピッツ「ナイフ」より抜粋

スピッツの楽曲はラブソングが主です。
歌われる”君”と”僕”は、時に危うく儚げで、時に穏やかに溶け合っていて、2人の織り成す幾多の物語が、無二の言語感覚により語られます。

実の所、これまでスピッツのイメージとして持っていなかった、初期の楽曲に垣間見える不気味さに惹かれてしまったのです。

こんなにもラブソングがおもしろいことを知りませんでした。こんなにも自分が、音楽を愛せることを知りませんでした。

スピッツを好きになることで、未知であった多くの自分のを知ることが出来たのです。

この時が、自分の内面における最初の大きな節目であり、この時、今の自分に直接繋がる自分になったような気がします。

受験生なのに信じられないくらい夢中になって、ネットでスピッツにまつわる情報を徹底的に収集したり、廃盤になった関連書籍をヤフオクで落札したり、メンバーや曲のファンアートを夜な夜な描くという生活を送っていました。勿論すぐファンクラブにも入りました。

この知り得る全ての情報をごく短期間で一心に掻き集める一連の行動は、これ以降、音楽に限らず好きになったほぼすべてのコンテンツに対して行う作業となります。要点。

人から勧められたものに素直にハマったのは、これが最初で最後でしょう。

そんな中、新たに知ったのがオーケンこと大槻ケンヂ。

かつてテレビ東京の子供向けバラエティ番組「ピラメキーノ」で流れていた「日本印度化計画」と言えばピンとくる世代かな。

クリックでピラメキーノ公式サイトへ

オーケンの書く歌詞って、一本の映画のようなんです。

膨大な読書量と映画鑑賞量を誇り、オカルト等サブカルチャーへのの深い造詣など、途方も無く広い知識を背景に持つオーケン。
その文学をはじめとしたカルチャーが渦巻く音楽世界に、とことん惚れ込みました。

めぬき通りのバクダン騒ぎ
ネコがくわえてきたバクダン
間一髪でバクハツしなかった
逃げた男は少年だった 
決死の捜査を笑うように 犯行声明が送られてきた
サボテンマークのレポート用紙に
”僕はこの世を憎む″と書いてあった
少年はサボテンが好きだった
サボテンは彼の神様だった
屋根裏部屋の隠れ家で それは緑に輝いている
少年はネコが好きだった ネコの名前はバントライン
バントラインとサボテンと
映画を見ている時だけが幸せだった
筋肉少女帯「サボテンとバントライン」より抜粋
「あー、やられた 愛するものが死んでいく時は 奉仕の気持ちになることよ」
「わかりかねます、なぜ人間の一生は平等でないのか?」
「そんなの当たり前だわ 生きるってことは不条理ってことよ、じゃーね、さよなら」
「いやです」
「少年の頃、あなたテレビを見なかったの?」
「見ました」
「思いだして、彼らはリアルな悲しみの時にどうした? 愛するものと別れ行く時彼等はどうした? 答えて!」
「フランダースの犬はその時、総てを受け入れた」
「ならばあなたもそうすればいい、それをしなさい!」
筋肉少女帯「221B戦記」より抜粋

オーケンが長らく属する筋肉少女帯というバンドは、そのまた昔、ナゴムレコードというインディーズ音楽レーベルに在籍していました。

(↓若い時のオーケンの目付き、たまらないものがあるよ)

ナゴムレコードには、他のレコード会社にはとてもじゃないけど収まらない、強烈な個性と才能を持ったミュージシャン達がいたのです。

ここまで読んでくれた方いるのかな、ありがとう。
ある意味サビなのですが、人生において、これ以上の衝撃を与えてくれるミュージシャンはいないと断言できます。

それが、”たま”でした。

……………………なんだこれ!!!!!!!!!!!

(2:40辺りから始まる柳原さんの台詞は、毎度違うのです)

カッパのような髪型に、白いランニング、奇抜な見た目に目を奪われることもつかの間、そこにある無二の世界観、舌を巻くほど高レベルに達した演奏技術、リアルに脳天へ雷が落ち私の全身を焼き切っていきました。

こんな音楽がこの世にあるんだ。

彼らは4人全員が元々シンガーソングライター。
全員が作詞作曲を行います(曲の作成者がリードボーカルをとる。ビートルズみたいな感じ)。
そのため、曲によってガラリと色が変わるのです。

しかしそのどれもが紛うことなき、たまのサウンドでした。
確かに彼らは伝説でした。

そして私が、これ以上ないほど心酔した最大の所以は、極上のサウンドに内包された、やはり歌詞であったのです。

四者四様に紡がれる歌詞、一度掴まれてしまえば、一生取り憑かれてしまうこと間違いありません。

百聞は一見にしかず、あえて歌詞は引用しません。YouTubeに上がっている映像のコメント欄には歌詞を全文上げてる方が多分いるので、ご興味ある方おられましたら、ぜひ歌詞を見ながら聴いてみてください。

(↓私はこの曲で作詞作曲ボーカルをとっている、滝本さんのつくる曲が一番好きです)

スピッツに出会ってからはもう嵐のようで、ナゴム繋がりで電気グルーヴ、有頂天、テクノの系譜を辿りYMO、クラフトワーク、歌詞の個性を追求しキリンジ、戸川純、椎名林檎、ZELDAなどなど(割愛)を貪り聴き、気がつけば立派なサブカル野郎に仕上がっておりました。

(ゲームじゃないよ、ZELDA。歌声と歌詞、そしてゴスっぽい衣装の時期が好き。↓)

邦楽においては、テクノ系を除くと、一貫して歌詞が好きなものしか聴けませんでした。好きな言葉が曲に乗り、愛すべき言葉たちに溺れることが楽しくて、たまらなかったのです。私の好きな音楽はこれなんだ、とやっと分かったのが嬉しくて。

自分には絵(次回以降触れます)と音楽があればいい、とまで思っていた、中学後半〜高校前半でした。

高校時代に行けた音楽ライブは、スピッツ(2回)、電気グルーヴ、クラフトワーク、元たまの3人がセッションする小さなフェス、そしてQUEEN+Adam。あとオーケンのサイン会かな。

最近は音楽をあまり聴けてないし、新しい音楽も開拓できていないので、反省です。
じゃあ音楽は、「私の信じる世界」には該当しないのかな?それは違うような気がします。


さてさて私の「好きな世界」について引くほど喋ってきましたが、結局「私の信じる世界」ってなんだろう。

次週も引き続き、自分と「好きを」振り返る、自分だらけの内容をお送りします。

今回、本当はもうひとつトピックを立てたかったけど、書きすぎたのでやめておきます。
賢明🍥