見出し画像

私のことは嫌いでも、半チャのことは嫌いにならないでください。

最近の個人的ニュースは、ハリウッドザコシショウの単独公演「ツアーしょんべん」のチケットが取れたことです。

高校時代は東京03の単独公演に毎年通っていましたが、最近は所謂営業系のライブへ時々足を運ぶくらいだったので、芸人さんの単独公演は久々。

お笑い全般好きですが、特別00年前後の東京コント界隈を崇拝している、いつも心に君の席です。

彼らの青春が生み出したものを、時を遡るように追いかけた日々が私の青春でした。

🍥一粒纏わぬ半チャーハン

授業の話に入ります。今週はNotionを用いてこれまでに作った2種のデータベースを、3人のグループに分かれて互いに紹介しました。事件だ。

活字で武装した姿しか互いに見せてこなかった受講生同士が、生身の身体から、生の声を発する形でのコミュニケーション行為に、初めて及んだわけです。

偶然にもご一緒したお2人は同じ学年だったのですが面識はなかったため、同期なのに顔より名前より先にクリエイター名を知っているという関係がおかしくて、不思議な感覚になりました。

noteの内容も、クリエイター名の方向性も、データベースに集めた情報も異なるメンバーでしたが、お話していると、イメージ通りまでとはいかないまでも、やはり若干、ぽさ、というものが皆さんそれぞれnoteにも表れているような気がしました。

初めてあった人に対して、ぽさ、なんてものを掴んだような気になってるのも含めて、なんだか変でおもしろい体験です。

自分は普段、ゆっくり言葉を選ぶことを楽しみながら(それが楽しいという感覚も、noteを書き始めたことで得ました。)noteを書くのですが、対面では案の定余計なことをベラベラと喋ってしまったような気がします。同じように書く方が得意だと言うメンバーの方もいて共感したりと、興味深い時間を過ごしました。

自分で作ったもう1人の自分(半チャ)にしか出来ない話は沢山あります。しかしその一方で、素っ裸の私にしかできない話もあるんですね。大発見です。

あがり症な自分の弱いところを隠せる、ある意味理想の自分を演じられるnoteという舞台の外で、いつも心に半チャーハンを名乗ることは思いの外こわくて、緊張しました。開設から早数ヶ月、noteという場所には、noteを生きる半チャという人格がもう既に命を持って存在していることを感じました。

noteを続ける中で、言葉という素材をnoteというアートボードにデザインしている感覚を持ってはいましたが、そうしてできた文章が「いつも心に半チャーハン」をデザインしていたのだなと、妙に納得した日でした。

授業も残り少ないですが、最後まで最大限に取り繕った自分を凝りもせずに晒してゆく予定です。見届けてください🍥