見出し画像

博物館をめぐる旅 6days (その2 予習編)

その1はこちら。

さて、今回は、旅をする前の予習について。

旅をするのに詳細な計画を立てるのは無粋だ、という無頼派の皆様からすると、「予習」までしてしまう僕は無粋を通り越してバカに見えるかもしれないが、今回の旅は行き先が博物館や名所旧跡の類なので、予備知識が無いと旅の解像度が落ちてしまう。

そのため、解像度を上げたい目的地については、あらかじめ予習をすることにした。

なお、予習に興味の無い方は当記事を読み飛ばして「その3」を読んでいただけるとありがたい。

予習の効果

博物館というのは、それ自体が学習施設であるのだが、漫然と訪れても学習できることは意外と少ない。

というのも、その博物館が扱う分野に関して、一定の興味や関心があるという前提で展示が組まれていることが多いからだ。
さらに、見学者が具体的な課題意識を持って訪れた場合、より深い理解が得られるような工夫が随所に施されているものでもある。
これは、名所旧跡についても同じだ。

このようなことから、前提知識があると、同じ風景を見たときでも、そこから読み取れる情報の質や量が大いに異なるのである。

かつて、予習を全くせず、予備知識も無しに目黒寄生虫館に行ったことが2回ほどあるのだが、2回行って2回とも「ふーん」という程度の印象で終わってしまった。
その後、寄生虫の研究者が書いた書籍を2冊読んでから再訪したところ、目の前に広がる寄生虫の標本や解説板が、全く違った景色に見えた。
「ああ、この解説に書いてあったこれは、そういうことだったのか!」
初めて頓悟できたことの、いかに多かったことか。

旅の目的は人それぞれなので、無計画にふらっと旅をすることを否定するつもりはない。
が、僕の旅の目的を鑑みた場合、予習をしないという選択肢は無い。

(1) 朝倉氏

今回の旅程の中で、自分の予備知識が不十分である立ち寄り先がいくつかある。その筆頭が、一乗谷だ。

一乗谷に関しての僕の予備知識は、戦国武将朝倉氏の拠点であったことと、『ブラタモリ』の「一乗谷」の回を漫然と視聴したときの朧げな記憶ぐらいである。それ以上の具体的な知識は何も無い。
あとは、今年の大河ドラマ『麒麟がくる』のユースケ・サンタマリアのイメージぐらいか。
いずれにしても貧弱なものである。

そこで、まずは朝倉氏に関する研究者が書いた本を2冊読んでみた。

画像1

いずれも福井県の郷土史家による著書である。

郷土史家の中には、地元贔屓がひどすぎてとんでもない珍説を開陳される方々もいるが、このご両名については信頼に値すると判断した。

ただ、この2冊には、現在の一乗谷遺跡そのものについての解説は無い。いや、無くていいのである。遺跡そのものの話は、現地に行けば情報がある(資料館にも立ち寄る)わけなので、一乗谷の成り立ちや、そこを統治していた朝倉氏の来歴について知識を得るために読んだのだ。その意味で、非常に良書だった。

また、録画してあった『ブラタモリ』の一乗谷の回を改めて見直してみた。やはり、『ブラタモリ』の情報量はすごい。

(2) 翡翠

糸魚川のヒスイ海岸で、短い時間ながら翡翠を探してみようと思っているわけだが、そもそも、翡翠の原石をロクに見たことが無いので探しようも無い。

本来であれば、それっぽい石を雑に拾い集めて糸魚川フォッサマグナミュージアムに持ち込めば無料で鑑定してもらえるのだが、コロナ禍の影響で鑑定サービスが休止中なのだ。
こうなると、自分で知識を身に着けて、箸にも棒にもかからないような石を除外できるようにならなければならない。

というわけで、品川の御殿山にある翡翠原石館に行って、実際に翡翠の原石を見てみることにした。

画像2

翡翠原石館は、好事家のオーナーが個人で買い集めた翡翠の原石を展示している私設の博物館である。

翡翠は宝石だし、宝石を買い集めて展示しているなどというと金持ちの道楽のような印象を受けるが、この博物館の設立には明確な使命感が伴っている。それは、糸魚川を始めとする日本の翡翠産地での乱獲から翡翠の原石を保護する、ということなのだそうだ。
実際、糸魚川の鉱脈では一時期、盗掘者がブルドーザーで乗り付けるなんていうヒドい状況があったそうで、今では警察も警戒に当たっているそうな。

さて、翡翠原石館で実際に原石を観察し、手にとって触らせてもらったりなどして、重さ(見た目よりも重い。比重が大きい)や表面の光沢感(よく見ると、鱗粉のようにキラキラしたものが散らばっている)を体感した。

なお、余談だが、この翡翠原石館で、知識の点と点が結びついて知の地平が広がる経験をしたので、下記しておきたい。

それは、翡翠原石館を訪れる数日前に参加した、あるウェビナーでの縄文時代の研究者による話から始まる。
そのウェビナーでは、糸魚川から産出される蛇紋岩が石器の材料として縄文時代当時非常に珍重されていて広い範囲で交易されていたと思われる、という話が出た。その蛇紋岩は翡翠が産出される場所に近接して産出されるという話も、産出地域を示した地図と共に提示されていた。
その際には、蛇紋岩と翡翠が産出される場所が近接していることについて、特に何とも思わずに聞き流していたのだが、翡翠原石館の解説パネルによると
「ひすい輝石は(中略)一般的な変成岩と異なり、蛇紋岩地帯で大量のナトリウムが岩石を置換する必要がある。」
とのことで、つまり、翡翠が生成されるためには蛇紋岩が必要なのだという。蛇紋岩と翡翠の算出される場所が近接しているのは、そういう意味で必然だったのだ。

知識とは、急に啓示を受けるかのように、一見何の関係も無い情報同士が結びついて地平を広げるものなのだと、改めて認識させられる出来事だった。

(3) 金沢

正直、泉鏡花関連以外では金沢に興味を持ったことが無かった。
今回の旅でも、泉鏡花関連以外については旅程に組み込まないつもりだったのだが、期せずして金沢での時間が長くなってしまったので、有意義に使いたい。おそらくそれが、泉鏡花が抱いていいた金沢観に対する理解にもつながるに違いない、と考えることにした。
(ちなみに泉鏡花は、郷里である金沢にあまり良い印象を持っていなかったようで、「加賀っぽ」のことを随筆でボロクソにこき下ろしている。)

とはいえ、あまり鏡花に拘泥するのも良くないと思うので、もっとフラットに金沢という土地を捉えられるよう、録画してあった『ブラタモリ』の金沢の回を見直し、また、書籍『ブラタモリ』第1巻の金沢の項を読み直した。(そう、僕は『ブラタモリ』が大好きなのだ。)

(4) 化石の発掘について

恐竜を含め、古生物学に関しては書籍をよく読むし、ダイナソー小林こと小林快次氏のトークイベントなどにも足を運ぶぐらいにはフリークなのだが、残念ながら自分で化石を発掘した経験に乏しい。
せいぜい、小学生のときに近所の山の露頭で貝や葉っぱの化石を拾っていたぐらいの経験しか無く、学術的な調査方法に関する知識は非常に浅い。
きっと福井県立恐竜博物館には情報が溢れかえっているだろうに、このままではその情報を十分に受け止められるだけの器が自分に用意されていないままで訪れることになってしまう。

ここまでくるともはや強迫観念に近いのではないかと思ってしまうのだが、性分だから仕方がない。
というわけで、ごく最近発刊された土屋健氏『化石の探偵術』を読んだ。

本書は、化石そのものの話というよりも、化石を発掘するに当たって必要な地質や地層や岩石についての解説に多くのページを割いている。
よくこの内容でワニブックスから発刊できたものだと思う(失礼)のだが、これを読むとつくづく、大学において古生物学が生物学ではなく地質学の分野で研究されている理由がよく分かる。すごく良書。これをよくワニブックスで(略)。

限られた時間の中で予習をするとなると、目的と優先順位を決めて、知識をつまみ食いするようにインプットするしかないのだが、それでも、しないよりは全然マシなのである。

実際、上記の予習が現地で見事に効果を発揮した(と思う)。

その3へ続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?