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自分の理解の範疇を超える人に会う

自分を変えたいと思うなら、「自分の理解の範疇超える人」と会うといいと思う。僕は大学時代にそういう人に運良く会うことができ、僕の人生に大きな影響を与えてくれた。その人の影響で僕は変わることができて、海外に行くことを決めた。

その人はボウズだった。高校野球児がそのまんま成長したようだった。服装は常に地味な色のトレーナに、ジーンズをはいていて、流行とは程遠い格好をしていた。

毎日15〜20Kmほど離れた自宅から自転車で大学に通学していた。どんなに猛暑でも雪が舞い散る日でも自転車だった。雨の日は、変な色をした雨がっぱを着ていた。

その当時、誰もが当たり前のように持っていた携帯電話を持っていなかった。不思議に思った僕は、なぜ携帯電話を持っていないのかと質問した。答えはシンプルで「必要ないからだった」

僕は大学の入学オリエンテーションでその人と同じグループになった。偶然名字が同じだったからだ。なんか変人がいるなって遠目から思っていたけど、まさか同じグループになって他の同級生の前で出し物を一緒にするなんて思ってなかった。

始めてグループで出し物の話し合いを行った際に、その人はおもむろにリュックからバナナを出し始めた。そのバナナの皮を剥き始め、むしゃむしゃと美味しそうにバナナを食べ始めた。他のメンバーがあ然としていたのを覚えている。

人の目ばかり気にしておどおどしている僕には、その行動は衝撃だった。張り切ってオシャレをしている年頃の男女がたくさんいて、みんな変な発言やおかしな行動を取らないように細心の注意をしている中で、その人はバナナをリュックから取り出して食べていたんだから。

流行のお菓子や、みんなでシェアできるポテトチップスなんかじゃない。自分用のバナナだった。可愛い女の子達の前で平気でバナナを食べていた。

僕は、バナナを食べているその人を見てその人に興味を持った。この人は「普通」の人とは違うと思った。

それが、その人との出会いだった。

その人に興味を持ってから、僕は積極的にその人に話しかけた。すでに20代の半ばで、他の大学をすでに卒業しており、大学卒業後は海外を放浪していたそうだ。社会人枠で僕の大学に入ってきたのだった。

普通の定職に付いたことは無いと言っていた。なぜ働かないのですか?と、質問したことがあった。その答えもシンプルで「働きたくないから」「働くのが向いてないから」だった。

その人は世の中に迎合せず「自分に素直」に生きていた。好きなものは好き。嫌なものは嫌。合わないものは合わない。興味無いものは興味無い。いらない物はいらない。だから、その人は携帯すら持っていなかった。服装もダサかった。自転車でいつも通学していた。バナナを食べていた。定職にもついたことがなかった。他人に媚を売らない。他人の目などを気にせず、自分の意見を好きなように発言していた。

その人は、他人が何を言おうと気にしていなかった。

全く自分に自信が無く、他人の顔色ばかり伺っていた僕には、その人がすごく格好良く見えた。お洒落な服を着こなし、女子に人気のある男よりも断然格好良かった。多くの人がその人を奇異な目で見ていたけど、僕は本当にすごい人だと思った。

僕にとって、その人は「理解の範疇を超える人だったし」「自分の軸がある」人だった。

僕はその人に色々な悩みを相談したり、アドバイスを求めていたりしていた。その人は、いつも僕に「海外に行け」「価値観が異なる場所」に飛び込んでみると”いいと言ってくれていた。

その人に勧められて、大学の夏休みを利用して沖縄のバーで住み込みで働いたり、大学を休学してカナダに留学した。今振り返ると、全然大したことじゃないけど、当時のへなちょこの僕にとっては本当に大きな出来事だった。

その経験があったから、大学卒業後にシンガポールで就職したり、インドでインターンシップしたり、国際結婚したり、ニュージーランドに住んだり、色んな国に行くことができた。

その人に会わなければ、僕は本当にダメだった。たぶん、社会との接点を持たずに家に引きこもっていたと思う。自分に自信が持てず、自分を嫌っていただろう。

地方都市に住んでいて狭い世界しか知らない自分に、新しい価値観、世界を教えてくれたその人に僕は本当に感謝している。

今はTwitterなどを通して「自分の理解の範疇」を超える人を簡単に見つけることができる。行動力があり、運があれば、その人に実際に会うこともできる。

もしかしたら、身近にそういった人がいるかもしれない。

「自分の理解の範疇」を超える人にあったら騙されたと思って、その人が勧めることをやってみるといい。その人のアドバイスを聞いてみるといい。

きっと、自分が変わるきっかけになるから。


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