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自然を相手にするということ

実は昨日は午前中から別の記事を書き始めていました。

昼前から出張などもあって時間が確保できず、書き上げることができなかったということもありましたが、実はとあるニュースの情報がずっと入っていたので気になっていました。

実はこの遭難の続報(報道に乗らない身内からの情報)が入っていたのです。
そして今日、ヘリにて収容されましたが、残念ながらひとりは助かりませんでした。

もう名前も住所も公表されているので隠す理由もないのですが、お亡くなりになったのは、北杜市在住の山岳ガイドの友人でした。城野さんとはすごく親しかったわけではないですが、甲斐駒ヶ岳の麓に住んでいて、昨年3月に甲斐駒ヶ岳黒戸尾根で雪崩事故が発生した際には、その翌日の現場検証に朝早くから付き合ってくれて一緒に登りました。

事故現場調査時の城野さん

苦労して山岳ガイドの資格を取得し、山に近いこの北杜市に移住をしてきました。同じ北杜市に住む山に携わる人間として、これからいろいろとご一緒させてもらえると思っていただけに残念でなりません。

○人間はミスをする

こういった事故が起こるといろいろな意見が出てきますが、山岳遭難のほとんどが人為的なミスだと言われています。つまり回避が可能だったということです。しかしながら人間はどんなに気をつけていてもミスをするときはミスをします。なので、遭難は一定の確立で起こるものだと考えています。

このデータでも、道迷い、転倒、滑落などが遭難原因の上位を占めています。道迷いは地図の不携帯や読み間違い、GPSなどの機器があれば回避できたような事例もあります。転倒も気をつけていれば回避できることがほとんどですし、滑落も同じです。

今回の事故原因については公表されていないので言及はしませんが、今後関係者によって検証されていくと思います。できればこのような厳しい登山を行っている人には、辛いでしょうが今回の事故原因を共有してもらいたいと思います。そうすることで事故の教訓として生きてくると思います。城野さんの死を無駄にしないためにも、我々は事故から学ばなければなりません。

いずれにしても、もうお一人の方は助かって本当に良かったです。事故後、救助されるまで数日間山の中で耐えていたので、これから大きな疲労感が続くと思います。しばらくゆっくり休んでもらって、また元気を取り戻してくださることを祈っています。

○次は自分の可能性がある

僕は幸いなことに、これまで自分の登山中に仲間を失ったことがありません。これは本当に幸運なことだと思っています。
これまで山の事故で亡くなって見送ってきた友人、先輩、後輩の数は、両手両足の指の数を足しても足りません。一週間に及ぶ捜索の末、沢の中で亡くなっていた先輩を引き上げたこともあります。雪崩事故の後に捜索に入り、何日も経ってから何とか友人を掘り出してヘリに乗せて連れて帰ったこともあります。

そんなことを繰り返していくうちに、今回もそうなんですが、事故の一報を受けても、ほぼ波風が立たない自分の心が怖くなることがあります。あまりにも身近に死がある世界にずっといるので、完全に感覚が麻痺してしまっているのかもしれません。あるいは本当は心の中はぐちゃぐちゃになりそうなのに、平静を装うことができるようになったのかもしれません。

しかし恐怖心がないわけではないです。山の中での活動は、常に「怖い」と感じながら動いています。この一歩を間違えたら落ちる。落ちたら助からない。そんな場所は雪山でなくとも、自然の中にはたくさんあります。常に最悪の事態を想定して、そこから逆算して、最悪の事態にならないように行動することが、自然に身についているのかもしれません。

そうは言っても僕もミスをします。何度も転倒や滑落をしたことがありますし、道迷い(リングワンダリング)したこともあります。救助されたこともあります。ヘリで搬送されたこともあります。結局のところ紙一重のところにいたことには変わりなく、ある意味幸運だったに過ぎないと言えます。

今年は年男で48歳になります。
40歳ぐらいから自分の感覚と実際の動作との乖離を感じるようになりました。最初はごく数ミリのズレだったものが、いまは決定的に違ってきています。やはり全盛期のような動きはもうできません。視力も弱くなっています。いつまでも若くない。リアルに感じています。

山の事故は明日は我が身です。
身近な人の死に接すると、なんとも言えない気持ちになります。残された我々は、事故から学びつづけるしかありません。

○自然体験の醍醐味

ここは心の声をありのままに書く場所なので、誤解を恐れずに書きます。
自然体験の最大の醍醐味は、この「死ぬかもしれない」という状況に身をおいていることだと思います。自分の判断や行動に、自分の命が常にかかっています。何かあっても自分の責任。誰のせいでもない。ましてや自然が悪いなんてことは決してない。いわゆるAt own riskです。こんな非日常の体験は他ではできません。もしミスっても死なないのであれば、怪我をしないのであれば、山登りの魅力は半減どころか皆無だとも思います。

僕は困難は求めていますが危険を求めていません。自然とは一歩間違えば死に至る場所だという、畏怖の念を抱きながら行動しています。
身近な友人の死を無駄にしないためにも、自分自身に対して、そして周りの人に対して改めて発信したいと思います。
それでも事故はなくなりませんが。

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