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密かにハマった幕カレ。坂本龍馬。

私の感想がネット上では
あまりにマイノリティーだから
いちいち書き残しておく。



あまりにも他人の感情がわからない私。

それが大きなコンプレックスでもあり、
私の内心は男なのかな、と思う事も
多くあった。

ところが最近、私は
男心すらもわかっていない事が発覚して、

「さすがに女も男もわからないのはヤバい」
と大いに焦る経験をした。

恐らく、今まで恋愛モノに
ほとんど触れてこなかったツケが
まわってきたのだと思う。

少年漫画のナルトとかに
ちらと挟み込まれていた恋愛要素
ぐらいの知識だけでは、
現実の人間関係なんて
到底理解できなかったのだ。

とはいえ、私は今も昔も
恋愛モノが物凄く苦手である。

なぜなら、恋愛モノのシナリオは、
波瀾万丈すぎて全然リラックスにならない。

人間関係のハラハラドキドキ感を
基本的にストレスと感じる私としては、

三角関係や両思いを引き裂く一時の別れ
なんていうベタな展開を
モロに悲しく思ってしまい、
面白がる余裕が全然ない。

小さい頃、ちゃおを買って
初めてハガキを出した程に満足した作品は、
よく見たらその話が最終話だった。

この経験をして以降、
私は少女漫画から離れっぱなしになる。
子どもながらに
大きなショックを受けたのだと思う。

そんな感じで、恋愛成就までの
感情的な紆余曲折を全く楽しめない私は、

どちらかと言うと「後日談」の方に
興味があって、

この場に及んでなお、どうしても、
「平和なふたり」をみていたかった。

その結果、今回の焦りでお尻に火がついた私が
なんとか消去法で選び抜いた感情学習ツールが

「幕末カレシ」という恋愛ゲームである。

このゲームでは、
歴史上の偉人を模した男キャラが
10人以上用意されていて、

好きなシナリオを
試し読みしてから選べるという
何とも心臓に優しい構造をしていた。

また、シナリオ毎に
1人の男性とのストーリーが展開されるため、
大した三角関係は現れない。

離れる波瀾はやっぱりあるものの、

物語は基本的に史実に沿った流れで、
歴史を知る身としては比較的親しみやすかった。

加えて、性格的に好みの男性とのストーリー
だけを楽しむことができるし、

場合によっては他と比較して
自分の恋愛傾向を
深掘りして知ることもできる。

ああ、平和、平和。そして、
なんと優秀な学習ツールなんだ。

これなら私でも楽しめそうだ!
と思えたことが嬉しかった。


ここからは、実際プレイした感想である。


まず、私の人選びの軸は、
「とにかく私と似ている人であること」。

これは、人生経験を積んだ結果、

異性同性に関わらず、
自分と異なる人間より
自分と似た人間との方が
遥かに過ごしやすい事を知ったからである。

この軸を意識して、私が最初に選んだのが、
原田左之助という人物だった。

彼は新撰組の隊士のひとりで、
「ヒマワリのような人」と紹介されており、

それが、ヒマワリの花束を送られてばかりの私
に重なったため、
自分と似ているのかなと選んでみた。

異性との交流に苦手意識のある感じも
私と性別は違うが似た感覚だなと思った。

ところが、この原田左之助とのストーリーを
私は途中で辞めて他へ移ってしまう。

理由は、主人公の女の子と私の乖離が
エグかったから。

最初はなんてことなかったのだが、
物語が進むにつれて、
主人公の女の子が恋愛をリードするような
形になっていったのだ。

「え、そんな事、私できない。。」

男性を煽るなんて、そんな高度な技術は
一生努力しても得られそうにない。

というか、そんな事を
しなければならない恋愛を
私はちょっと面倒くさく感じてしまった。

「そうか、私と似てるだけではダメなのね」

この新事実に気づいた頃に、

他の選択肢をよく探したら
原田左之助と同じように「ヒマワリ」と
表現される人物がもう1人いたのだ。

これが、今もどハマりしている
坂本龍馬である。

よくよくシナリオの試し読みをしてみたら、

「私の内心、ほぼ坂本龍馬じゃんか!」

というぐらい
内心描写のシンクロ率が高くて驚いた。

もちろん男性特有の保護者精神
(俗に言う男心)が私にはないので、
共感できない言動も多々存在はする。

だけど、気の配り方や物事の進め方、
決め方は、
本当に私とそっくりだった。

そして、今回は、安心なことに、
主人公の女性と私との乖離も少ない。

「これなら私でもできそう。涙」

と感じられた事に
とんでもなく安堵した。



さて、坂本龍馬と原田左之助。
ふたりはどちらも
「ヒマワリ」と評されるのに、

一体何が違うのか?

その答えはズバリ、
「大人か否か」であるようだ。

まず、坂本龍馬も原田左之助も
組織や仲間想いで、面倒見が良く、
笑顔の多いムードメーカー的人物なのは同じ。

そして、両者ともに
「しんみりした顔は自分に似合わない」と
思っている点、共通している。

なぜなら、自分がキャラにも合わず
しんみりしていると、
周りに気を遣わせてしまうから。

この点、まさに私が日頃からずっと
思っている事と同じで、
鬼のように共感したくなった。

そう、キャラじゃないんですよ、
私のキャラじゃ。はあ。


これは単に今までの私が
関わる人を間違えてきただけだと思うが、

私が感情を出したところで、
それを受け止められる人が
今までの私の周囲には誰もいなかった。

むしろ、私が感情を出してしまうと、
相手から感情が2倍になって突き返されて、
状況がますます悪化するばかり。

特に、自分の負の感情表出は、
なんの解決にもならなかった。

こんな心情を経験し続けた結果、
私は自分の感情を迷子にさせる事が
多くなっていたのだと思う。

そしてそれが、私の感情オンチの最大原因
のように今は思う。

私は女だからか、
この点で多少無理しているのを
実は心地良く思っていない。

状況の悪化を防ぐためとは言え、
感情を出さないでいる結果、私はますます
ヒマワリのような人になっていく。
そして、ヒマワリの花束が増えてゆく。

「私、そんな元気な人じゃない」
と何度思った事か。


でも、さすがは男たち。

坂本龍馬も原田左之助も
自分の負を表に出さない我慢を
不自然には思っていないようだった。

これが男心というやつだとしたら、
彼らは強いなあ、と感心してしまう。



鏡に映った自分の笑顔に
私自身もよく救われるから、

きっと周囲を元気づける笑顔なのだろうと
思ってはきた。だけど、
私だって人間だから負モードの時はある。

キャラに合わない私の負モードに
何の生産性もないなら、せめて、

私の笑顔を事前に守れる人はいないだろうか、
と思っているのが
私の内心だったりするのだ。

負モードに陥いる前に
誰か上手に助けて欲しい。

それが期待できるのは同類だけだと
気がついたのは、ここ最近の事である。

さて、話が私の内心へと逸れたが、

つまるところ坂本龍馬も原田左之助も
私と頗る似た心情を持つ点では強烈に同じだ。

でも、この2人の男たち、
よく見るとキャッチコピーが
ちょっと違うのである。

坂本龍馬は、
「人たらし、ギャップのある大人」で、

原田左之助は、
「純朴、包容力」と書いてある。

「大人」と言われても、
最初はピンと来なかったのだが、

物語を読み進めるうち、
自分より心に余裕のある人物を
大人と表現するのかもしれないなと感じた。

この「大人」という言葉は、
他の様々な要素と組み合わせて
別のキャラたちのキャッチコピーにも
使われている。

だとしたら、原田左之助には
あえて「大人」とは書いていないのかも
しれなかった。

つまり、私が「こんなの私には無理だ」
と思った原田左之助とのシナリオは、

心の余裕レベルが自分と同じぐらいの相手
との恋愛である点が特徴だったのかもしれない。

そして、一方の坂本龍馬は、
主人公の女の子からみて
「大人」と特筆される点に特徴があるようなのだ。

この「大人」要素こそ、
同じような性格であるはずの2人のシナリオを
大きくわかつポイントなのかも
しれなかった。


原田左之助からわざわざ乗り換えて、
「大人」と題される坂本龍馬に
どハマりした私はきっと、

自分より心に余裕のある人との
人間関係を切望している人間なのだな
と思った。

この点、私には完全に盲点で、
性格以外に心の余裕というベクトルが
あったなんて、全く想像もしていなかった。

これはあくまでゲームであって
女子の一方的理想であるとはいえ、
良い勉強になった気がする。

ちょっと一歩状況が改善されたようで、
私は嬉しく思った。

上に挙げた以外にも、基本的に
坂本龍馬の心情には共感を覚える点が多く、

ああこんな人がいたらなあと心底思う。

と同時に、物語途中の選択によって
上がり幅が上下する信頼度とやらも、

特に彼目線のストーリーを進めた時は
かなりの好成績で、

「良かった。ゲームとはいえ
人が作ったものなのだから、
私と似たような感覚は確かに存在するんだ」

と安心できた。

総じてこのゲーム、挑戦してみて
良かったと思う。



さて、以上が私のゲームの感想だ。


今の私、きっとみなさんの中では
当たり前のことを書き綴っているのだろう。

現にかつての友人にそう言われた事がある。

「なぜそんな当たり前のことを
さも大発見かのように言うの?」と。

だけど、その時と同じ返事を
ここにも書いておこう。

「だって、私にとっては
当たり前じゃないから」



ではでは。




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