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出会いに年齢もタイミングも関係ない

今回は、前にアップした夕日の写真記事のアナザーストーリーです。前回私は、相棒の一眼レフを連れて、初めての夕日撮影に挑戦しました。しかしそれは私1人で成し得たものではありませんでした。とてもステキなおじいさんとの奇跡の出会いがあったのです。

夕日の名所で、各々が自分と夕日以外に興味を持っていない空間。その中でほぼ無意識に一眼レフカメラを持った1人のおじいさんと目が合いました。

思わず「こんばんは」と会釈し、気づいたら隣でカメラを構えていました。

おじいさんは近所に住む方で、毎日のようにカメラ片手に来ているそうです。カメラ歴40年の大ベテラン。それは是非教えてほしいな~。私の図々しい考えも見透かされていたのでしょうか。「ここからの絶景がおすすめだよ」「もう少しF値あげてみようか」「ヨットがこの角度に来たらチャンス」

ごく自然とおじいさんの手ほどきを受けながらシャッターを切っていました。

波打ち際に並んで座り、ひたすらシャッターを切る。その一瞬を逃すまいといつの間にかお互い無言になり、近くのヨット部の声出しとシャッター音だけが鳴り響きました。夕日はどんどんと山に溶け込み、山も海も空もヨットも人間も、私もおじいさんもすべてが一つになりました。

さあ、はじまるよ

日が落ちると今日の1日が終わる。その概念を一発で覆す言葉が隣で聞こえました。

刻一刻と空は色を変えていきます。マジックアワーのその一瞬を見逃すまいと、おじいさんは楽しそうに、そして心地よい距離感で一緒に写真を撮りました。

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その時は2人の中に年齢や今までの生きてきた歴史など関係がありませんでした。ただカメラが好きで夕日を撮るのが楽しいということを共有できる。自分の好きなものを、好きだよねえって分かってくれる人がいて一緒に楽しんでくれる。それで、その人と心で繋がることができる。

私にとっては久しぶりの、新鮮で温かい感覚でした。夕日が沈むほんの数十分の間だったのに、長い時間一緒に話していたような気がしました。

幼少期は、近所の公園に行けばその場で会った同じくらいの子どもたちといつの間にか遊んでいたり、学校に行けば毎日遊ぶ友達ができました。そのうちに学校が違う子とも共通の話題で笑いあい、大学に入学すれば全国に友達が広がりました。就職して社会に出たら同僚ができ皆ひとつの目的遂行のために一緒に働きました。いつの間にか仕事が人間関係のメインになっていっていました。そうしていつしか新しい人間関係のスタート地点は狭くなっていっていたように思います。

私、いつから自分からコミュニケーションをとるのを辞めたのだろう。いつから受け身になっていたのだろう。新しい人間関係を作ることに消極的になってしまっていたのだろう。

これまで内にこもって自分の安全圏を固めることだけに必死になっていたんだなあと痛感しました。どんどんと積極的に交友関係を広げて先に先に進んでいく友人たちを見ながら、自分はどうして人間関係が広がらないんだろう。そんな考えを堂々巡り。恥ずかしながら、怖かったのです。話しかけて相手にされなかったどうしよう。と。

なんとおじいさんは帰り道、大通りまで送っていただきました。別れ際は

じゃあ、また会うだろうから。またね


名前も交わさなかったけれど、きっとまた夕日を見に行ったら会えるだろうという信頼関係が二人の中にはできていました。公園で気づいたら一緒に遊び回った子たちのように。あれは子どもの特権とばかり思い込んでいましたが、出会いに年齢もタイミングも関係ないのかもしれない

大げさに積極的にコミュニケーションをとる必要もない。挨拶から始まることもあるのだろう。スーパーで出会っていたら、今日夕日を見に行けなかったら、行きの信号に長くひかかっていたら、出会わなかったかもしれない。だからこの出会いに感謝したい、素直にそう思えました。

夕日を撮るためという口実で、あのおじいさんとお話するために、また行こうかな。夜道を歩きながら子どものように心ははしゃいでいました。

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