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自分への労りとこの上ない感謝

一昨日の夜、小説を読み始めました。
ほんの数ページ、きりのいいところまで読んでふ、と一息。
一人暮らしの部屋をぐるっと見回すと、私の好きなキャラクターたちがいます。

しみじみ。
しみじみという言葉ってこういう意味なんだな、と思いました。

恐ろしいほどの自由

が、自分にはある。

私はずっと、病気を確信したのは中学生の時だと言ってきました。
それはそうなのですが、実際のところ発病はもっと前だと思うのです。

小6の時、読めなかった本がありました。
読めない自分を認めることが出来なかったけれど、今思えば病気の影響がもう出ていたのでしょう。
小5でもう、死にたいと思っていました。
この頃が発病時期だな、そう考えました。

そう考えると、10歳の時からもう私は禄に本が読めなくなっていたのです。
あらがってあらがって、無理矢理読める活字を読んでいましたが、どんどんと読めなくなりましたし随分と苦労していました。
文字が読めるのは早くても5歳くらいからでしょうから、私はせいぜい5年程度児童書を読んでいたに過ぎないんですね。
それだけでよく後の20年以上も本好きを自認して信じてきたな、と驚きます

さて、それでもその5年読書を楽しんでいたことは間違いありません。
最近ようやく思い出せるようになったのですが、本当に純粋にただただ読書が楽しかったのを覚えています。

その頃の感覚が今ようやく、私に戻ってきたのです。

すんなりと苦痛なく、文章が読める。
純粋に、物語に入り込みその世界が楽しめる。
これは私にとっては本当に素晴らしいことです。

20年、停滞していました。
ずっと病気で、流れの悪い川や沼や池、そんな感じでした。
それがここ数年、ほんの1年半程度でしょうか、濁流に変わりました。
突然に流れが早くなり荒波になったお陰で、膿や泥や要らないものが流れていきました。
今、清流になった気がしています。

もののたとえ

この、ほんの数年というのは言わずもがな、修正型電気けいれん療法を受けてからのことになります。
そして1年半は、就労移行支援事業所に通っている期間になります。
就労移行支援事業所「はぐみワークス」で、私は

有り余る努力

をしてきたように思います。
矢に刺され鉄砲玉をくらい、傷だらけ泥だらけになりながら、恥をかき躓きながら進んできました。
その間、もちろん一人では進めません。
常に「はぐみワークス」がそばにありました。

私を支え見守り、背中を押し擦り、肩を抱き、時に頬を打ってくださいました。

それが無ければ、今の私は有り得ません。

そのことに、しみじみと思い至ったのです。

この今ある

どうしようもない幸福

「はぐみワークス」に与えられた、恐ろしいほどの幸せだ、そう思いました。
しかし私は、奇跡が起こったとは思っていません。

奇跡を掴み取った

そう考えています。
まさに、ずたぼろになりながらこの手で掴み取った、その感触があります。

今、私の手の中に、ようやく「日常」が戻ってきたのです。

この幸福は、特別な何かではありません。
日常の温かい、幸福。
それが手の届く範囲に戻ってきた。
やっとスタートラインに立てた。
人生が、再び動き出した。
そのような感覚です。

本がすらすらと読める。
ただそれだけのこと。
本当に些細な、それだけのことです。
私の人生にとっては、こんなにも大きなことは無い、それに気付かされました。

このどうしようもない、大きな大きな想いを全て伝えるすべを私は持ちません。
言葉というものは便利ですがただの記号であり、万能ではありません。
ほんの少し、この気持ちが伝われば良い、その程度のものです。
伝えきれないほどの大きな気持ちが、私に嗚咽させました。

一昨日の夜に涙し、これは伝えねばならないと昨日、口頭で担当の支援員さんにお伝えしました。

ありがとうございます!

ただそれだけの、シンプルな言葉。
これしか言えないのが歯がゆいですが、結局のところそうなのです。

恐らく他の利用者さん以上に手間と時間を使い、面談を繰り返し深く深く話をしてくださいました。
ずっとそばで、寄り添ってくださいました。
時に泣き叫ぶ私に、本当に手を焼いたことでしょう。
全てのスタッフの方と思い出があります。
辞める訳では無いのですが、新鮮な気持ちを今「はぐみワークス」の皆さんにお伝えしたいと思いました。

姿勢を正し、深く礼をし、ありがとうございます

そう言うしか出来ないですが、この思いが伝われば良いなと思います。

サポートくださったら泣いて喜びます!! いつも皆さんありがとうございます!