hanada/花田勝彦

2022年6月より早稲田大学競走部で駅伝監督をやっています。

hanada/花田勝彦

2022年6月より早稲田大学競走部で駅伝監督をやっています。

最近の記事

早稲田から箱根へ、そして世界へ〜ニューヨークシティハーフ遠征③

3月17日 『…ふぅ〜ン、よく寝た…いま何時だ?』 枕元に置いたスマホを見ると、まだ1時半を過ぎたところだった。 そうだ、The Ten(ロスで行われている10000mレース)の結果は?と速報ページを開くと、26分台は多数出たものの、日本人選手でパリ五輪標準突破者はいなかったようだ。(日本人トップは太田智樹選手で27分26秒41) まだ時差ボケが解消されていないためか、その後は深い眠りに入ることはなく(横で寝ている伊藤を起こさないように忍足でトイレに行ったりもして)うとうとし

    • 早稲田から箱根へ、そして世界へ〜ニューヨークシティハーフ遠征②

      3月15日 ニューヨークに着いて2回目の朝練習は、ブレットさんの案内で15km〜ゴールまでのコースを下見することに。 札幌のようにニューヨークも碁盤の目のような市街地で、信号のたびに止まるので、私もなんとか着いていくことができた。(ニューヨーカーは車が来なければ止まらないらしいが) 川沿いに出たところでコースの全体像の説明があったが、ブレットさんが指差すコースは高速道路あったりブルックリン橋があったりでなかなかタフなコースだ。 ゴールとなるセントラルパーク内も、立川の昭和記念

      • 早稲田から箱根へ、そして世界へ〜ニューヨークシティハーフ遠征①

        2024年3月13日(水) 午前中にチームのポイント練習を見た後、スーツケースを持って小手指から電車に乗り、羽田空港第3ターミナルへ向かった。 昨年11月に行われた上尾シティハーフマラソンで山口智規(2年)が早稲田新記録となる1時間1分16秒で学生トップとなったことで、今回のニューヨークシティ・ハーフへの派遣が決まった。 その山口とトラックシーズン中は同じ練習をこなし、ハーフマラソンでも遜色ない実力を持つ伊藤大志(3年)も大会側にお願いしてエントリーしてもらい、ニューヨーク

        • ボジョレーヌーボー

          昨日、朝練習後に合宿所の食堂で朝食をいただいていると、 『ボジョレーヌーボー、初荷が羽田空港に到着しました!』 とテレビの朝のニュース番組が伝えていました。 ボジョレーヌーボーは、フランス・ブルゴーニュ地方のボジョレー地区でその年に収穫したブドウを発酵させたワインのことで、毎年11月の第3木曜日に全世界で解禁となるそうです。 ボジョレーと聞くと、いつも競走部で同級生だった友人を思います。 『なんだよ、これ?2ケースもあるんじゃん!』 合宿所の廊下に無造作に置かれた60

        早稲田から箱根へ、そして世界へ〜ニューヨークシティハーフ遠征③

          早稲田から箱根へ、そして世界へー初の海外遠征へ④

          2023年9月3日 昨夜はレースを終えてホテルに帰ってきたのは20時半過ぎ。シャワーを浴びて少し落ち着いたところで、ホテルのロビーで選手たちと待ち合わせて食事に出かけた。 食事を終えて解散した後、今回のレースをコーディネートしてくださったエージェントの方と二人で少し飲んでから帰ったので、部屋に戻った時にはすでに0時を回っていた。 8時半頃に朝食会場に行くと、山口がレースで優勝したエチオピア選手と一緒のテーブルで食事をしていた。 『おはよう。昨日はあの後、大丈夫だった?』

          早稲田から箱根へ、そして世界へー初の海外遠征へ④

          早稲田から箱根へ、そして世界へー初の海外遠征へ③

          2023年9月2日 プラハに到着した日は、さすがに選手たちからも長旅の疲れが見られたが、そこから2日間、調整期間があったことで時差ボケ等もほぼなくなり調子は上がってきたようだ。 自分が現役時代もそうだったが、時差が6-8時間のヨーロッパに来て、数日して夜のレースに出る時はあまり時差ボケは感じず、身体も比較的よく動いた。 これがアメリカのように時差が12時間以上になってくると、昼間は眠くて仕方がない。なので、万全で試合に臨むなら調整のためにもう何日か前に現地入りする必要がある。

          早稲田から箱根へ、そして世界へー初の海外遠征へ③

          早稲田から箱根へ、そして世界へー初の海外遠征へ②

          2023年8月30日 成田空港からドバイまで約10時間。ドバイでの乗り換え待ちが4時間ほどあって、そこから6時間半のフライトでプラハへ。 プラハ空港に到着後、預けた選手の荷物に破損があり、荷物受取所で交渉したりもあって、宿泊ホテルに着いたのは現地時間14時過ぎ(日本時間21時過ぎ)。1日がかりの移動となった。 『シャワー浴びて寝たいところだけど、時差ボケの解消もあるし、部屋で1時間ほど休んだら軽く走りに行こう。』 私も走る格好に着替えて、ロビーに15時半に集まった。私は201

          早稲田から箱根へ、そして世界へー初の海外遠征へ②

          早稲田から箱根へ、そして世界へー初の海外遠征へ①

          2023年8月29日 箱根の頂点へ、そして世界へー そう銘打って多くの方々からご支援いただいた早稲田大学競走部・駅伝強化プロジェクトのクラウドファンディング。 目的の中で私が一番実現したかった『個の強化』のための海外遠征にいよいよ出発することになった。 目指すは9月2日に行われるプラハ10kmロードレース。世界のトップクラスが集まるハイレベルの大会で、過去には世界最高記録も出たことがある。そんな大会に早稲田大学競走部から石塚陽士、伊藤大志(ともに3年)、山口智規(2年)の3人

          早稲田から箱根へ、そして世界へー初の海外遠征へ①

          フィールド・オブ・ドリームス

          私の好きな映画の一つに、『フィールド・オブ・ドリームス』というものがある。 1989年にアメリカで制作された野球を題材にした映画で、主演のケビン・コスナーが不思議な声に導かれて物語は進んでいく。この映画のラストシーンで主人公とその父親がキャッチボールを通して心を通わせるシーンがあるのだが、そのシーンを観ると、私はいつも感動で涙ぐんでしまう。 『パパ、また観てるの?』 と妻には呆れられるが、ハートフルになりたい時にはつい観たくなるのだ。 この映画の影響で、長男が大きくなっ

          フィールド・オブ・ドリームス

          時はめぐる

          『パパァー…はやくねなぁ…』 夜11時を過ぎて、私が1階の書斎でノートパソコンの画面に向かっていると、2階へ上がる階段の、折り返して見えなくなる6段目に立った長男が、手すりにつかまりながら頭だけが見える感じで、ほんの少しだけ身を乗り出して私に話しかけてくる。 『わかったよ、ありがとう…まだおきてたの…ママは?』 『ママはもうねてるよ…だからパパもねな。はやくねないとだめだよ。』 『そうだね、はやくねないとだね。すぐいくから、もうねな。』 『…わかった…ねるよ…パパも

          早稲田大学競走部の新体制

          早稲田大学競走部は昨年(2022年)2月に大前祐介君が監督に就任し、6月に私が駅伝監督となったことで現場の指導体制が一新しました。 一新したというと、すべてが変わったような印象を受けますが、前監督の礒繁雄先生(大学教員)が総監督に、前駅伝監督の相楽豊君(大学職員)がチーム戦略アドバイザーという形で私たち新任スタッフをサポートしてくれています。また、競走部OB会である早稲田アスレチック倶楽部も体制が代わり、その会長に瀬古利彦さんが就任されました。 『競走部の良い伝統を引き継ぎ

          早稲田大学競走部の新体制

          早稲田大学競走部の伝統

          前回、私が早稲田大学競走部駅伝監督になった経緯について書きました。 今回は、競走部の伝統ついて私が思うところを書いてみたいと思います。 早稲田大学競走部の創部は1914年のことで、来年には110周年を迎えます。卒業生には日本人で初めてオリンピックの陸上競技で金メダルを獲得された織田幹雄さん(三段跳び)、マラソンレジェンドで私の恩師でもある瀬古利彦さん、一昨年の東京オリンピックでマラソン6位入賞した大迫傑選手など、数多くの日本代表や日本記録を更新した方がいます。この先、その仲

          早稲田大学競走部の伝統

          早稲田大学競走部駅伝監督になりました

          noteを最後に書いたのはいつだったのか…振り返ってみると、この一年で自分自身を取り巻く環境が大きく変化して、日々やるべきことに追われていて、なかなか落ち着いて文章を書く時間がなかったように感じます。 プロフィールだけは変えていて、そのことについて書こうとしたままになっていた文章を補足して、再スタートしたいと思います。 2022年6月、私は早稲田大学競走部の駅伝監督に就任しました。母校で学生たちの指導に携わることになるとは思ってもみなかったので、何かまだ夢でも見ているのでは

          早稲田大学競走部駅伝監督になりました

          ラジカセ

          宮崎で今年最後の合宿が始まった。 合宿では朝練習から始まり、夕食までほぼ選手たちと同じスケジュールで動くことになる。家族に会えないのは寂しいが(家族はそう思っていなそうだが)、日頃乱れがちな生活リズムは自ずと整うので健康には良い。 朝練習後、朝食を食べて部屋に戻ると、ちょうど朝の連続ドラマの時間帯だったりして、つい見入ってしまう。今回のドラマは戦前からスタートして現代に至る内容だが、胸を打つ場面が多く、歳のせいか涙してしまうことも多い。 その中で、主人公とその両親、祖父母らが

          かたもみけん

          長女(小5)が家庭学習で使っている通信教育用タブレットには、メールの機能がついている。 解答の結果や、時には長女が私たち(私と妻)宛に書いたイラストメッセージが届いたりする。 私はまめにメールをチェックして、返事も書くようにしている。それが長女の励みになればいいし、どんな形であれ長女とつながっていることが嬉しいからだ。 先日も解答結果メールと合わせてイラストメッセージが届いた。 『パパ かたもみけんです。つぼおしけんです。使ってね!』 さっそくその日の夜に使うことにした

          かたもみけん

          親子の時間

          恩師である瀬古利彦さんのご長男、昴(すばる)くんが4月に病気のため亡くなりました。まだ34歳という若さ。あまりに早すぎます。心よりお悔やみ申し上げます。 私が瀬古さんに勧誘されて早大に進学したのが1990年4月。昴くんに初めて会ったのはその年だったように思います。怪我の治療のため、渋谷にあったエスビー食品陸上部のクラブハウスを訪れた際、選手たちの食事を作られていた瀬古さんの奥様について来て、昴君はエスビーの"お兄ちゃん"選手たちと遊んでいました。 瀬古さんは、ご自身が指導