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菊原桐郎について

 菊原の顔が決まったのは、菊原の顔が初めて登場した時だった。それ以外のことはほとんど決まっていなかったので、菊原は初登場時が一番怖い人間だったと思う。


 菊原は幼少期、子供嫌いの母親に疎まれ、多くの時間をお手伝い、特に「原田さん」と過ごしている。原田は青森出身で、母親が年末年始や夏期休暇を自由に過ごすため、しばしば菊原は原田の実家に連れ帰られた。その頃の名残で、津軽弁を少し話す/聞き取ることができる。
 母親は年の離れた夫(菊原の父)と結婚したが、やがて父の老いる姿に失望し、外で恋愛をするようになる。小さなインテリアの会社の代表でもあり、仕事に恋愛にと菊原の母は忙しかった。

 やがて父が亡くなり、菊原が高校一年生に成長してくると若き日の父に風貌が似てくる。その頃の父の姿を最も愛していた母・優鶴は、次第に息子に惹かれるようになっていく。
 優鶴が息子に自分を下の名前で呼ばせ、恋人関係を強いるようになるまで時間はかからなかった。優鶴はそれまでと打って変わって家に入り浸るようになり、学校から帰った息子に自分を愛させた。
 菊原がそれを拒めなかったのは、母親に対して無意識的に愛情を求めていたからだった。だがそれは「家族愛」であって「恋人同士の愛」ではない。二人の関係はしばらく続き、その間に少しずつ菊原の精神は追い詰められていった。また、優鶴も実際のところは病院に通っており、精神面に課題を抱えていた。

 菊原が優鶴を衝動的に殺したのは一年後の冬だった。ベランダから優鶴を落とした菊原は、優鶴の日記に完璧に似せた筆跡で短い遺書を書き、通報した。通院中で不安定でもあった優鶴は自殺と判断され、その後は原田が住み込み、菊原が高校を卒業するまで面倒を見ることになった。


 菊原家は金銭面で余裕があった。菊原は大学に進んだ後、理系でありながら院に進むのを辞め、警察官を目指す。なぜ警察官を志したかは定かではないが、母親の殺人を安易に自殺と判断した警察の「勘の悪さ」が関係しているようにも思える。菊原には常に<当事者意識>が存在している。気がかりな組織に自らが入ることで、何かを見ようとしたのかもしれない。

 菊原は、「自分が少数派で変わっている」という自覚を持っており、その孤独に自信を持っている。自分と似たような境遇の人間を無意識に求めているが、一緒に行動する友達が欲しいわけではない。

 菊原は人に恋心を抱かれるのが苦手である。優鶴を思い出すからでもあり、肉体的な<愛し方>しか知らない。菊原にとって性行為は非常に空虚で、無意味なものである。なんとも思っていない人間は抱けるが、少しでも大事である人間は抱けない。菊原は無意識に母/家族の愛を求めているが、自覚はない。あらゆる愛情を優鶴と結びつけてしまうため、愛情全般を信用していない。また、幼少期の体験から、子供を気に掛ける傾向にある(安斎や那々子)。子供に対して子供扱いをしない。自分自身が子供だからという側面もある。

 菊原は、過去の自分との記憶を忘れて健やかに育った青年の安斎を毛嫌いする。しかし安斎は菊原という象徴を受け入れようとし、菊原も心の揺らぎを体験するが、菊原から見た安斎はまた違った見え方をしている。菊原から見て、暗闇を歩く仲間に仕上げようとした安斎は、ある意味文字通り暗闇を歩く存在となった。だが同じ暗闇でも、安斎の上には時折光が差す。菊原は光の差さない暗闇を好む。二人は、菊原が最初に望んだのとは違うが、ある意味では「仲間」になった。自分の道をそれぞれ歩く仲間だ。


 本作でほとんどの人間が<愛情>を拠り所にする中、菊原は<愛情>がなくても生きていくことができる。菊原は幸運ではなかったが不幸ではない。本作は愛のない生き方を否定しない。当然、菊原が愛情を誰かから与えられれば、何か変わるかもしれない。しかし変わらなくても、愛情がなくても、生きていくことはできる。本作は恋愛至上主義作品になりたくなかった。人には人の生き方があり、愛が人を救うというのは生き方の一つにすぎない。

(2019.01.17)

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