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彼岸同盟 中編

父は、結局、翌年に心臓を悪くして手術も
虚しく病院で亡くなった。

母は、一年ほど、半生を共にした父の死を
哀しみ、その間わたしはひとりになった母が
生きる気持ちを欠かしているのを心配して、
なるべく頻繁に実家に顔を出した。

そして、秋になったとき。あれ?今年の庭には
彼岸花が咲いていなかった。

「お母さん、彼岸花、今年は咲いてないの」
気のせいだったかな、いや、父の病床の向こうにたしかにあれは咲いていたのだ。

「ああ、あれは、ご近所の方にあげたのよ」
「どうして?」

そういうものなのよ。あなたもいつか、わかるときが来るのよ。

なぜだろう。いつも答えをくれた母。
このときに限って、

母はそれ以上、教えてはくれなかった。

ただ、その訪問の帰り道、近隣の家に
彼岸花が咲いている家を車窓からみかけた。
それが、母が譲り渡した株なのかどうか
戻って尋ねたりしても、きっと答えてはくれないだろうとも思った。

数年して、母がしっかりひとり暮らしに
慣れ、わたしが訪ねるのも、自分の息抜き程度になったころ。

「ひとりで寂しくない?」
「そりゃ、寂しいわ。でも、残る女同志で
いろいろ助け合えるしね。ほら、あそこのお家も旦那さんが去年亡くなったのよ」

わたしは思わす息を呑んだ。

それは、まさしく、母を慰めに寄っていた秋に
彼岸花が咲いている家だった。

その秋、わたしの目はどうしても、
あの家の庭を確認に戻らずにはいられなかった。

そして、予感どおりに、その庭には、
彼岸花が咲いていなかった。
あの彼岸花の株は、いったいどこへ譲られた
のだろう。
ただ、途絶えてしまっただけなのだろうか。

球根の百合などは、病気が多くて、数年で
駄目になるものが多いともどこかで読んだ。

でも、彼岸花は、もっとずっとしたたかな
存在な気がする。
農家の人が何度も植え直すことなどないまま
秋になればそこに咲いている花だったような
気がするのだ。

だとしたら。

どんなルールで彼岸花は移動しているのだろう。