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AIポリス

救急車のサイレンが鳴り響く。深夜の住宅街。
パタパタと小さな靴が、駆けてゆく足音。

「こっちでーす。助けて〜。」
通報元へ迷走している救急車。それを追いかけるのはまだ小学生の男の子か。
道の角で必死に手を振る。近所の目など気にしない。また、近所の家も災難に巻き込まれるのを怖れてか窓を開けることもないだろう。

数分後、やっと救急車がその子供の家の前に
到着する。
「早く、早く。お母さんが、お母さんが。」
子供が、救急隊員の降車を急かすように足踏みをしている。じっとしてはいられないのだ。

「どちらですか?」子供が先回りして待つ
開けっぱなしの玄関から、救急隊員が
「失礼します」声をかけてから
居間へと続く廊下を通り、数人で入ってくる。

慌てている子供はもちろん気づかないが、救急車からはドローンが一台操作されて、玄関、庭を飛び周り始めていた。

救急隊員がそこで、見つけたのは、頭から血を
流してうつ伏せになっている女性だった。
「お母さんを、助けて。」
子供が泣きそうな声で言う。

跪く、救急隊員。続けて声をかける。
「大丈夫ですか?」

どうすればいいのかわからずも寄り添う子供。
母親と思われる女性は、うめき声のような返事をする。
「ちょっと拝見しますね」
周囲に飛び散る血痕は、それほど多くはない。
頭の傷も、大きくはないようだ。

救急車到着までに、どうやら血も止まりかけていたようであった。
「傷は、そう、縫わなくても良さそうですよ。
打撲はどうかな。ちょっと触りますね。」
隊員は、特殊な眼鏡に手を充てて何かをリサーチしている。頭の傷に、破片が残ったりして
いないかも。

もうひとりの隊員は、女性の傷がひどくないと
確認したのち、周囲を見回している。
割れた急須。
「これが、傷の原因かな?」
隊員が子供に尋ねる。子供が頷く。

「誰がお母さんに?」
子供のかおが強張り、うずくまっていた母親がびくっとしてなんとか声を出そうとしている。

そのとき、隣の部屋から、男が出てきた。
「客がきてたんや。そいつがやった」
酒臭い息の声が響いて、母親が黙った。
隊員が尋ねる。

「旦那さんですか?」
「そうだ。大丈夫なら帰ってくれ。」

子供のほうに、隊員が尋ねる。
「電話をくれたのは君かな?」
子供はぶんぶんと首を縦に振ってうなずく。
「お、お母さんが、死んじゃうと思って。」

その割れ物と、怪我人の女性の頭部のスキャン確認が終わったと告げる音。
「コード799案件」自動音声。
ドローンが玄関を探索してから、部屋の中まで
入ってきていた。

「旦那さん、その人は今はどこへ?」
「出て行った。」
「お知り合いの方ですか」
「知らん」

子供の、息を呑む声。父親のその姿を瞠る目。
父親が、嘘をついているのが信じられないのだ。

父親のほうは、気もそぞろで、目が泳いでいる。酒が少し、抜けてきたようでもあり。

ドローン「他者進入ノ痕跡ナシ」

その報告を聞いて隊員は、男に声をかける。

「旦那さん、ちょっと、ご一緒しましょうか」
「な。なんだと?! 俺は関係ないぞ!
俺じゃない」

隊員は、焦りだした父親に慣れたように言う。
「まあ、お酒で具合が悪いのはあなたのようですからね。お酒が抜けるまでちょっといきましょう」

慌てて、包帯の手当てを受けていた母親が、
「ま。待ってください。…夫、夫じゃないんです…」子供から目をそらし苦しそうに続ける。

隊員は、閉じ始めた傷が開かぬよう横になるように母親にすすめながら尋ねる。

「明日からのお金が心配ですか?」

「…! …はいでも」
「心配ないですよ。保険が降ります。
旦那さんが更生するまで」

「えっ?」
「女性特約で、加入していた保険がききますからとにかくおやすみになっていてください」

「で、でも…」

「俺は行かん!」
「はいはい、でも、危ないですからね、これ以上ここにいては。(他の家族がね)」
「そんなに俺は、酔ってなんかいない!」

大声を上げ始める父親をみて、子供が怯える。母親がひるむ。日頃の暴力が透けて見えるようだ。
その全てをドローンと、救急隊員のメガネが
記録している。

「さあ。では、立って歩けますね?歩いてみましょうか。まっすぐ歩けるかこちらに移動してみてみましょう」玄関の方へ父親の歩みを促す。

隊員は、凶器と思われる急須を保管庫へ仕舞い出す。もうすでに、指紋はスキャンされており
家族のものしか検出されてはいないのだ。

「大丈夫ですか?お家を支援してくれる女性が一時間ほどの間には到着します。それまで、安静にしていてくださいね。動かないように。」

「そ。そんなお金は」
「大丈夫、全て保険内ですよ。心配ないんです」

子供に向かって、隊員が言う。
「偉かったね。お母さん、大丈夫だからね。
お手伝いできる女の人がきてくれるから、それまでお母さんのそばにいてあげられるかな?」

子供は。そこでようやく涙をあふれさせる。
ホッとしたのだ。
隊員に付き添われ、玄関から出て行く父親を
見て、やっと。

ドローンが後を追い、格納の準備に入る。

「じゃあ、僕たちはお父さんと行かないと
ならないけど、それまで君がお母さんを守っててくれるね?」
子供は、頷く。本当は、この子供を抱きしめてやるべきかもしれないが、救急隊員にそのような時間はない。

救急キットを片付け、玄関を出る。
「鍵は閉められるかな?」
「…うん。」
玄関の鍵がかかる音を確認して、救急隊員は
その家をあとにする。

ありふれた少し古びてきた家。
ありふれていたDVの家庭。
つい前までは、ここで、

「旦那さん、家庭内のこととはいえ、派手に
やるのは気をつけてくださいよ」

そう言って、後にしてきたありふれた夜の
光景だった。

それが、ようやく。
犯罪者を、家から引き離し隔離する。
被害者に、支援者が送られてくる。

これで、あの子供も面前DVからも、安全の
保障が受けられるようになったのだ。

電話で、あの歳で、救急車を呼ぶことができる
ほどの判断が出来るならば。
将来は有望かもしれない。
そういう子供もたくさん見てきた隊員だった。

父親の暴力に曝され、
貧困の心配ゆえに、両親の共依存から抜け出すことができない子供は、歪んで育ってしまうことが多かった。

それが、この女性救済の保険制度で、子供の知能育成にまで効果があることがわかったのは、
ここ最近の朗報だった。

何も出来ずに立ち去ることしかできなかった
昔の無力感から解放されたのは隊員も同じだったのだ。

夜の闇が、少し薄くなった気がした。
月を見上げる心の余裕が出来ただけかもしれないが、それでも。
これまで男性が殆どの救急の現場で、DV犯罪は見逃されていたが、やっと本当に実現すべき安全な社会が作られ始めたのだった。

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