桜井の話①

僕は、小さい頃から目立つのが好きだった。

今でも覚えてるのは、小学校の時の話。

僕が生まれ育った滋賀県には、皆さんご存知琵琶湖という日本一大きい湖がある。というか、湖しかない。その湖の上で、まぁ実際には船上で、1泊2日過ごすというフローティングスクールなるものが、滋賀県の小学校では多分定番のように行われている。
そのプチ修学旅行のような催しでは、行程の最後に誰かが代表でスピーチをしなければいけないんだという事を聞きつけた僕は当然のように立候補し、他にやりたい人間などいるわけもなく、おかげで当然のように当選した。

1泊2日を船上で過ごしてみてどうだったかを話すとのことだったから、事前に何の準備をするでもなく船に乗り込み、何の準備もしないままに2日を過ごし、そして何の準備もしないまま壇上に上がった。
この1泊2日の経験を今後どのように活かしたいとか、親元を離れてみてどんな心境だったとか、そんな大切そうなことは一切話さずに
「誰々と何をしたのが面白かった」とか
「こんな変なことがあったんだ」とか
とにかくエピソードトークを繋いで喋りに喋り、最後に友達や先生、親に対する思ってもいない感謝をとってつけたように述べて壇を下りた。

この時先生に大変お褒め頂いたことが、自分は『話をすることが上手』な人間なんだと自己を確立するきっかけに、また、『事前準備なしでも一応形に出来る』ことが癖づいてしまったために、後の人生で何度も大人に準備不足を怒られることになるきっかけにもなったのを覚えている。

また、こんなことがあった。

合唱コンクールでの指揮者とピアノの伴奏者を募る時があった。
指揮者はやったことがあったから、伴奏者に立候補した。教室中が、先生もザワついた。

僕がピアノをやったことがなかったからだ。

家に帰って伴奏者に立候補した旨を母親に伝えると、「アホやなあんた。出来るわけないやん」とうっすら笑いながら言われた。
「出来るわけない」や「そんなの無理だ」等の可能性を低く見積もる言葉が今でも大嫌いなのは、多分この時のトラウマだ。

その日から僕は泣きながらピアノを練習して、それでも全然出来なくて、やっぱり母の言葉通りに出来るわけなかったのが、そして何より目立つ術をハッキリと失ったことがとてつもなく悔しくて。

この時、『人間にはその人が目立てる場所と目立てない場所がある』ということを何となく理解したことを覚えている。

つづく。

日々の生活を、ほんの少しお助けください。