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願う自由、祈る自由

本を読んだり、動画を見たり、ショッピングに出かけたりした。
まあまあ、そこそこ、いろいろなことをやっている。
だけど、何もできない、どれも中途半端って感じている。
家でぐったりして横になっていたら、思ってるよりずっと疲れていることに気づいた。

考えがまとまらなかったり、記録を書けなかったり、以前はできていたはずのことが出来なくなっている。
未知のこと、ちょっと背伸びをしてエイっとやること、そんなチャレンジをしていない。コンフォートゾーンにちんまりと収まっているつもりで、ちっとも居心地なんて良くない場所に留まっている。

落ち着いてみる。
心と頭を休めてみる。
疲れているからダラダラゴロゴロすればいい。
右肩がいつまでたってもうっすら痛いこと、昔のことを思い出したり、心に浮かんでくる気持ちをそのまま感じてみる。

今日読んだ一冊は「風に立つ」

人にはそれぞれ「背景」がある。
そう思うに至った理由がある。
「幸せ」の定義はなくて、自分なりの「幸せ」がこれだと見つけてみるのだけれど、それはみんなの「幸せ」ではなかったりする。
そんな不確かな「幸せ」だけど、辛い経験があって『自分だけ幸せになってはいけない』と決めてしまうことがある。
決めているから「幸せ」にはならないのだけど、実は「幸せ」の中に生きていた。どう思うのか、どう捉えるのか、過去を振り返ってその定義づけが変わると見え方も変わる。

傲慢で、独りよがりでも、「誰かのことを思う」、「笑顔でいてほしい」、「幸せでいてほしい」と願ってもいい。
思い通りにしたいとかしようという欲求ではなくて、ただ願う自由、祈る自由があっていい。
そんなことを思った。

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