八丁堀小町おさきの事件帳

「黒い金魚」

4、伊勢屋のねずみ

虎吉じいさんは、すぐに小石川養生所という、今でいう病院に運ばれた。幸い
命にかかわるようなことはないらしい。
けれど、数日たっても、起きることはできなかった。

「まだ話をしてはいけなませんよ」
医者にそう言われては、拓磨もほかの同心も、事件のことをきくわけにはいかない。
拓磨は、娘のおさきがこのあぶない事件について話すと、機嫌が悪くなった。
けれども、おさきには仲間がいる。
「ねえ楓さん、わたし、伊勢屋さんに、行ってみようと思うんだけど」
「伊勢屋さんに?」
「ええ、二十年前、ほんとうに、真珠が盗まれたのか、きいてみたいの」
「そうねえ……」
子どもながら、おさきは、大人も舌をまくほど頭がいい。いっしょについていき、もしうまいこと真珠を見つけて、伊勢屋に返すことができたら、自分もたっぷりとお礼をもらえるかもしれない。

楓は心の中で考え、何度もうなずいた。
「それじゃあ、行ってみましょうよ」
おさきと楓が伊勢屋を訪ねると、最初にでむかえた番頭は、うたがいの目で、

二人を見ていた。だが、おさきが同心の娘だとわかると、奥の主人夫婦に取りついでくれた。
おさきと楓は、庭に面した部屋に通された。伊勢屋夫婦が待ちうけていた。

「わたしは、南町奉行所の同心、木村拓磨の娘、早紀でございます。本日は多忙の父にかわり、二十年前に盗まれた真珠の件でおたずねしたく、まいりました。こちらは、父の仕事の手伝いをしてくださっている楓さんです」
伊勢屋夫婦に、おさきは、虎吉じいさんが語った忠太と真珠の一件を話した。

おさきの話が終わると、伊勢屋の主人は、ゆっくり口をひらいた。
「あれは、わたしがずいぶんと若い頃、江戸に来る前に伊勢で商いの見習いをしていたときに、一度だけその真珠を見たことがあります」
「たいそうきれいなものでしょうね。わたしは、お話だけで、一度も見たことがありませんが」

伊勢屋のおかみも、うらやましそうに口をはさんだ。
主人は、おさきにいった。
「おじょうさん、真珠は貝がつくるのですよ」
「貝って……アサリとかシジミとか、あの貝のことですか?」
おさきは不思議そうにきいた。
伊勢屋夫婦は、顔を見合わせて笑った。
「そう、その貝の仲間ですが、もっと大きな貝です。貝がからの中で砂粒などをつつみこんで、できるのです。伊勢の海では真珠がたくさんとれますが、その中に、とりわけ見事なものがふたつぶありました。それが、盗まれた真珠です。ふたつとも、それまで見たどの真珠よりも大きくて、粒がりっぱでした。日の光が当たると、白というより、赤や青やいろんな色、七色に光っているようでした」
主人は夢みるようにいうと、ため息をついた。
楓は、おずおずと口をひらいた。
「あの、その真珠は、おいくらぐらいでしょうか?」
おさきは、そっと楓の体をつついた。
伊勢屋の主人は、商人の顔になった。
「真珠そのものの値は、ふたつぶで千両近くになったでしょうか」
「千両?」
楓もおさきも、おどろいてさけんだ。なにしろ、今の数千万円にあたる大金なのだ。
「しかし、その虎吉さんとやら、ほんとうに真珠のありかを知っているのでしょうか。知っているのなら、わたしもききたいです」
主人がいうと、おさきはすぐ答えた。
「虎吉さんは、養生所に入る前に、手がかりになることばを言ったような気がします」
ここまでおさきが言ったとき、部屋の天井うらで、がたんと大きな音がした。
皆が天井を見上げると、伊勢屋のおかみが「きっとねずみでしょう」と言った。
「ずいぶん大きなねずみですね。お店のお食事が、きっとおいしいからですね」
おさきは、にっこり笑っていった。
伊勢屋夫婦に別れを告げ、おさきと楓が店を出て道を歩いていくと、急に、背の高い女が立ちふさがった。女は、うすむらさきいろの布で顔をかくしていた。
「あんたたち、なんだって、虎吉とお宝のことをかぎまわってるんだい?」
女がそういうと、負けず言いかえす。
「ちょっと、そっちこそだれなのさ」
そのとき、おさきのききなれた声が聞こえた。
「おさき、楓どの。どうしてこんなところにいるのだ」
おさきは振り向き、身をすくめた。父の拓磨だ。だが、十手を腰に差した同心の父を見て、逃げたのは、女のほうだ。
「おまえは、お銀じゃないか。わたしの娘に何の用だ」
お銀と呼ばれた女は、下駄の音高く、一瞬、拓磨をにらむと走り去った。
「父上、あの女の人をご存知ですか?」
おさきがたずねると、父はうなずく。
「ああ、札差(ふださし)の金吾の女房だ。もとは、夫婦で盗賊だったといううわさもある。最近は、高利貸しで、評判の悪い連中だ」
「父上、その金吾とお銀に、見張りをつけてください。きっと、あの人たちが、虎吉さんをひどい目にあわせた人たちです」
「なにい?」
拓磨が目を丸くした。楓もびっくりしている。おさきは、二人に笑いかけた。
「それだけじゃないわ。楓さん、天井うらの大きなねずみ、あれもお銀に違いないわ」 (続く)



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