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グラジオラス 会社編


会社の受付に濃いピンク色をした鮮やかな花が活けられている。
普段から通勤時にはなんとなく見てしまう。
気品ある笑顔の受付嬢と、その横にどっしりと構えるきらびやかで大きな花器。

あの花はいつも誰が変えているんだろう。
関係ない部署の私にはてんで見当がつかないけど。

多分、花の名は

「……グラジオラス」

すんなり出てきたことに驚いた。
学生時代にアルバイトした花屋の記憶が蘇る。
しなやかな手で美しい花束を作る女店長は、花のことはなんでも知っていた。

花言葉は、ありきたりでない恋。用心。
小さな剣。そう呼ばれる、鋭角ですっと伸びた形が凛々しくて気高くて。
なのに花言葉は不穏な感じなのが面白くて覚えていた。

女の心を守るのは美しい剣。
それはありきたりでない恋を愉しむための剣なのか、それとも、壊れそうな心を護る剣なのか。

混雑したエレベーターから、ぼんやりといつものフロアに降りる。

「平井さん、おはようござい、ます」

突然耳元で低い声が響いて、首筋に鳥肌が立った。

「ちょっと、夏目くん。近い」

距離感が掴みにくい同僚に、首をさすりながら非難の目を向ける。

学生時代はバスケの選手だったという背の高い彼は、私を見下ろしながらニヤリと意地悪そうに笑う。
全く嫌な顔。女の子に人気がある理由がわからない。
人のことを馬鹿にしたように見下ろす三白眼。

イライラしたので顔をそむけるようにして、足早に女子トイレに向かった。
出社まではまだ時間がある。

背の高い男は好きじゃない。

かといって、低い男なら誰でも良いわけじゃないけど。
ああ、消毒したい。今すぐあの人の顔を見て、声を聞きたい。
部長の穏やかな声を想像しかけて、慌てて首を振って止める。

なんて、ね。
誰もいない洗面台の前で、手を丁寧に洗って、口紅をゆっくり塗り直す。

最近の私は、どんどん弱くなっている気がする。
好きだった、って過去のものにしていたはずなのに。
こうして同じ誤ちを繰り返してしまう。閉じ込められたみたいに。

出張で、部長が不在の時。
彼の態度に一喜一憂しない自分にすごく安心して、同時にすごく不安になる。

片想いは、痛い。
自分の行動全部がから回ってるみたいで。
なんでもないことで馬鹿みたいに、勝手に傷ついて。

片想いなんかじゃない。尊敬。敬愛。
そう、置き換えたモノ。線を越えちゃいけない。

「おはようございまーす」

トイレに入って来たバイトの女の子の明るい笑顔に、鏡の中から笑顔を返して、
笑えている自分にほっとする。

コントロール。

自分を制御する。できるよね?何年この身体と心で生きてきたの? 
今日がたまたま、不安定なはじまりだっただけ。大丈夫。

心に美しい花を思い出して。剣を構えて。武装する。
デスクの足元に荷物を置いて、ペットボトルの水を飲む。

「朝礼、はじめるぞ」

今日もにこやかに全体を見渡しながら前に立つ、大好きな人を見つめて。
目が合って、軽く微笑まれると胸がぐっと重くなる。
作り笑顔じゃなく、本当の笑顔を返せているだろうか。

背筋を伸ばして。あえて背の低い彼と同じ身長になるように、弱い自分を立て直す。

「以上!」

背筋を伸ばしたまま、落ち着いた仕草を意識しながら椅子に座り、仕事に頭を切り替える。
メールを確認していると、未読の欄に嫌な名前を発見した。

『差出人;夏目 海  件名:同期飲み会のお知らせ』

ため息をついて開くとそこには、

『◯月◯日 20:00〜 ◯◯駅 XX店
 出席の方は13日までに返信ください。  

 ところで、お前そろそろ片想い終わらせたら?』

思わず顔をあげると、
遠くにいても目立つ憎らしい男が、紙カップのコーヒーを片手にこっちを見ていた。

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