強きものになりたい 植物のように

人間は考える葦である。
人間だから考えるのか、考えるから人間なのか。
とかく人間は考える。踏まれても千切られても考える葦である。

アリストテレスは植物にも心(プシュケ)があるとか言ったっけ。彼ら植物たちは、誰にも教えられらずとも陽の差す方に顔を向け、風に身を任せて可憐に揺れている。踏まれても千切られてもまた芽を伸ばす。強く美しい生物。


猛暑のせいでベランダでがっくりと頭を垂れていたモンステラを、室内に迎え入れた。私はこれを療養と呼ぶ。

そんな療養中のモンステラは、薄明るい4.5帖の部屋の中で特別の寵愛を受け、むくりとその頭をもたげている。

植物は表情豊かであることを知った。
水が足りなければわざとらしいほどうなだれてこちらの罪悪感を煽るし、日光が強すぎるとすぐに葉が焼けて痛々しさを見せつけてくる。日光が足りないと葉を黄色くしたり酷いと葉をはらりと落としてそれは悲しげに物語ってくる。

その様は母親の接触を求める人間の赤子と変わらない。違うところがあるとすれば、大きな泣き声を上げないことだけだ。
泣き声を上げないから、こちらは余計にはらはらと気を配って様子を見やる必要がある。ともすれば人間の赤子より厄介なのではないか。

そんな厄介で可愛い植物たちだが、意外と放っておいても平気だったりもする。
平気というのは、ピンピンしているという事ではなく「命に別状はない」程度の事である。
そもそも植物というのは(一部の繊細な種を除き)なかなか死なない。毎年毎年、じりじりと日に焼かれながら人間が額に汗して草を刈っても、負けじとグングン伸びてくる雑草などを見ていれば、彼らの生命力の強さはよくわかるだろう。

というか、植物にとっての死とはどこからなのか、イマイチ私にはわからない。
植物の心臓を根っこだと仮定すると、その根がやられてしまえば死だということになるが、根が腐って無くなっていたとしても、環境を整えて熱心に世話を焼けば復活するということもままあるのが植物だ。だとすれば植物は不死か?

祖母はガーデニングが趣味で、私が幼い頃からずっと庭には絶えず花々が咲き乱れ、それらは入れ替わり立ち替わり姿を変えていた。

花の寿命は短い。植えては枯れて土に還る花たち。その亡骸ごと土を混ぜ返してまた別の花を植える。
祖母の庭はそうして新陳代謝を繰り返してきた。

唯一姿が変わらずにいたのは、キンカンの木だった。
キンカンの木は20年にわたって祖母の庭の真ん中を陣取り、祖母の背丈を優に超えて伸び、野生の鳥たちの巣を受けいれてきた。

私は、祖母が愛した色とりどりの花よりも、剛健で寛容なキンカンの木の方に心惹かれるものだった。


百均で買ってきて3鉢に分けた小さなシェフレラたちは、過酷なベランダで強烈な直射日光に葉を焼かれ、しおしおと崩れ落ちそうになっていた。私はその姿に一時は胸を痛め、ベランダの中でも多少は陰に入るポジションを見つけ彼らを移動したが、室内に迎え入れてやるほどの甲斐性を私は持ち合わせてはいなかった。
かくしてやはり灼熱のベランダで暮らすことを強いられた可哀想なシェフレラたちだったが、私の心配とは裏腹に、次々とみずみずしい若葉を伸ばし始めた。

灼熱のベランダに住まい、強かに生きる彼らを見る度に、私は彼らのようになりたいと思う。
花のように美しく可憐でなくても、大きな実を付けなくてもいい。傷を負っても雨が降っても負けじと次の日光を待ち続ける。そのひたむきな精神を見習いたく思うのだ。


この間イオンモールに行った時、通路にやたらとシェフレラが置かれていることに気づいた。しかもやけに立派な株ばかり。
私のベランダでしがなく暮らしているあれと、本当に同じ種類なのかと愕然とした。
そしてやはりあの環境は可哀想に思うのだが、家に帰るとやっぱり場所を移してやる気にはなれない。うちは狭いアパートなのだ。あんなだだっ広いイオンモールとはわけが違う。


彼らもまた考える葦である。置かれた環境がなんであれ、彼らは彼らで考えて生きていく。
私ごとき人間がどうこうして彼らを「生かす」などと、傲慢な考えを持ってはいけないのだ。

置かれた場所で咲きなさい、というのは、置かれた場所で耐え忍べばいつか報われるということではない。置かれた場所で咲け、さも無くばそこで無様に散るしかない。ただそれだけのことだ。

私は彼らをこうしてただ見守り、気まぐれに水をやり、気まぐれに日陰に入れてやり、気まぐれに肥料をやり、気まぐれに眺めるだけ。彼らがどうなるかなんてのは、彼らが決めることなのである。

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