失恋したら人生が変わりつつある話

失恋した。私がわがまますぎて、相手に甘えすぎて、依存しすぎて、まあ残念ながら当然って感じで、彼氏が家を出ていった。

まあそれはいい。(よくないが)1週間まともに飯が喉を通らなかったがおかげで2キロ痩せたので、ダイスケ的にもオールOKだ。私は彼に振られて当然なだけの行いをしてきた。当然の結果だ。これが仮に、彼氏の数々の浮気を許した上に全ての家事を担い生活費も全て自分が負担していたのに振られた、とかだったら、どうすればよかったんだ!ともう少し絶望すると思う。が、私は至極当然の流れで彼氏に出ていかれたのだ。一応最後は円満に別れたし、彼が清々しているならそれでいい。訳あってなんだかんだで1週間に1度くらい会っているが、1週間ごとに彼の顔がぷくぷくと丸くなっていくのを見ているとこれでよかったと思う。
それよりも同棲のために借りた広めのアパートの家賃を一人で払えるかの方が問題だ。

恋愛は生活の一部ではなかったのだと、私は今回の件で初めて気づいた。
実に愚かなことであるが、私は生活の中に恋愛がなくてはやっていかれないと思っていた。必要ではなかった。ガスと電気と水道代を払って、家賃を払って、食材を買って、ガソリンを入れて、その後ユニクロでなんでもないブラウスを買う余裕があるかどうか。そっちの方がよっぽど大事だったことに気づいたのだ。

私は恋愛が好きだ。誰かが私のことを想って一喜一憂していると思うとすごく気分がいいし、誰かを「推す」という行為も好きだ。
だけど別に、それだけだ。恋愛で満たされる何かなんてそんなに大きいものじゃない。
寂しいから誰かと一緒にいたいこともあるが、大抵は一時的な感情だし、それは別に恋愛でなくても友達でいい。

冬になるとなんとなく人恋しいよねとか、クリスマスは恋人と過ごしたいよねとか、理屈としてわからなくはないけど別に心の底から共感する訳では無い。私は人に影響されやすいから、クリスマスに一人は寂しいよね、と言われるとたしかに寂しいような気がしてくるというだけなのだ。

私は小説も好きだし映画も好きだしアニメも好きだし漫画も好きだしゲームも好きだし美術も好きだ。お笑いも好きだ。学ぶことも好きだ。忘れていたのだが人と会うのも実は好きだった。車を運転するのも好きだし、ぼーっと外を散歩するのも好きだ。
よく考えれば恋愛をしていなくてもいくらでも楽しめるし時間が潰せる。恋愛をしていた時は「この時間を他の何で埋められようか、オヨヨ」などと思っていたけど、全然埋められる。そもそも私は趣味が人より多すぎるのだ。


彼のことは今も好きである。そりゃあ、このままずっと一緒にいられると思っていたら急にもう無理と言われてそれっきりなのだから未練タラタラだ。そもそも私が猛烈に好きで猛烈にアタックして付き合ったのだ。それを誰が急に切り替えられようか。

だけど、このまま停滞して「彼の気持ちを取り戻したい…」とか言ってメンヘラらしくオヨヨと泣いて暗い部屋で泣いてたって彼が戻るわけでも無ければさらに「コイツやっぱ気持ちわりぃ!」と思わせるだけなのは火を見るより明らかだ。

これはいいショック療法だ、と思った。彼と付き合ってからぶくぶく太って運動もしんどくなり、睡眠の質も落ちていた肉体を建て直し、恋愛に依存してそれ以外何も手につかないよー!みたいな、どこに行くにも彼と一緒じゃないとやだよー!みたいな気色悪い乙女ンヘラマインドをかなぐり捨てて強く生きたい。その為にはこれぐらいインパクトのあるイベントがなければいけなかった。
そのためには中途半端な恋愛ではダメだったのだ。もうこの人しかいないと思えるほど強烈に惹かれあった人に、もう付き合いきれないとスッパリ切られる体験が私には必要だった。

ゲームによくある「バッジを取得しました」みたいなもので、人生の中には色んな試練があって、人それぞれぶち当たる試練は違えど何かしらみんな葛藤したり何かから逃げたりして、人生のバッジを取得したりしなかったりして生きていくのだ。

上手く生き続けること、標準や平均から外れないこと、親に認められること、周りに認められること。そんなことばかりを気にして雁字搦めになって、絶対に失敗してはいけない!恥ずかしい!という気持ちばかりが先行して何も出来ないで真っ暗なトンネルの中にいた。

彼に振られてみて、そのトンネルを抜けた。

暫く会っていない友人たちに連絡するのを躊躇していたが、連絡してみたらあっさり遊びに行こう!となった。久々に会う友人はみな変わらず、楽しい時間を過ごした。同級生の近況を色々聞いていたら、自分はなんてちっぽけなことで悩んでいたんだろうと思った。
嫌われていると思い込んでいた友人に、生きてる?とだけLINEしてみたら、向こうから電話がかかってきた。お前って、昔から変な男好きだよな、とアッサリ言われた。懐かしいその声色になんだか心底ほっとしたものだった。
相手が陽キャだから…と積極的に話すのを避けていた仕事関係の集まりで、少しくだけて話してみたらみんな楽しく乗ってくれた。その内の1人とは今度共通の趣味で会う予定だ。

考えがまとまらない時に体を動かすと頭がスッキリすることに気づき、以前よりウォーキングの時間が伸びた。2週間ほどでグングン体力がついた。階段を登っても全然息が上がらない。
面倒だなぁと思っていた家事も、YouTubeを見ながら楽しくやれば大したこと無かったし、作り置きを覚えたのと食べる量が減ったのでほぼストレスフリーになった。

以前はどうしても出来なかったことが突然なんでもできるようになってしまった。まさに無敵モードだ。

何に囚われていたんだろう。やりたいことをただ素直にやってみればよかったのに、なんだかんだと理由をつけて出来なくしていたし、出来ない自分をウジウジと責めていた。

こんなんでごめんね…と謝られたって、お、おう、としか言えないもので、ウジウジ悩んで何も出来ないやつを見ていても気分のいいものじゃない。ましてやそれが彼女なら。
私はそれに気づけなかった。こんなんでごめん、嫌だよね、ごめんね、でもああでこうで疲れてて出来なくて…ばっかり。
彼は支えてくれていたのだから、いつもありがとう!私がんばるね! これだけで良かったのだ。

もうあれほど好きになれる相手は見つからないかもしれないが、別にそれでいい。すごく好きな人がいなくたって生きてはいける。
一人で生きられるようになってから、同じように一人で生きられる人と出会って愛し合えたら素敵だなとは思う。

大丈夫、人生は美しいものばかり。
絵画を見るように、視点を変えたり、捉え方を変えたり、時々ちょっと離れてみたりしながら、自由に向き合っていけばいい。

今、何もかもが楽しい!初めて幸せをちゃんと感じてる。地に足が着いている。噛み締めている。味がする。生きた心地がする。体がここにある。自分がここにいる。

最高の恋愛と最高の失恋をありがとう。そして、ボロ切れのようで半分放心していた私に普通に接してくれた心の広い友人たちよ、本当にありがとう。
きっともう大丈夫。


20231026

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