助けられた命

命と直接関わる診療科、脳外科、心臓外科や循環器内科等の医者は自分の心の緩みが原因で死亡してしまった悔やんでも悔やみきれない患者が1人や2人、否もっといるかもしれない。 悔やんで立ち止まっていたら仕事ができないと私の上司は言っていた。1人だめでも1000人が助かればいいじゃないのと私に言ったことがあった。実際彼は重大なミスを犯し大きな心の傷を抱えて耐えていた。 

私はある患者の胸部レントゲン写真で通常には見え無い場所に薄い線があるのに気づいた。患者自身から訴えがあったわけではない。彼はタバコ飲みだから胸部の写真を撮ったのだと思う。私はすぐ胸部外科のある近くの病院に紹介状を書いた。ここら辺の中堅病院で呼吸器の専門の外科医がいると噂を拡げていた。私は肺の病気に関しては託したつもりだった。 返事はあっけなく1年後またきてくださいと口頭で言われたとのことで手紙はなかった。それに安心し患者の胸部のことをすっかり忘れてしまった。 患者は今やっている仕事がどんどん大きくなってカンボジアまで手を広げられるようなった。カリブ海にあるケイマン島に明日から行ってくる、ニューヨークにアパートを買った、有力な○○代議士がカンボジアのプロジェクトに興味を示してくれてバックアップしてもらえるかもしれない、話は次から次へと展開し私の入る余地はなかった。 彼はアルコール飲酒家で彼の治療はもっぱら肝臓の数値になった。 私は初診の時に撮ったその写真を最後に胸部X線のレントゲン写真を撮ることを忘れていた。専門医に診てもらっているものだとばかりに思っていたと言うのも言い訳がましい。 何の訴えもない人に胸部のレントゲン写真といえども保険の適用になるのか私は未だわからないが。

会社勤め人は定期的な健康診断は義務づけられている。それをしてなかった会社だった。 なんということだ。ある時さめざめ泣きながらその彼が私の所にやってきた。発熱しておかしいので会社の近くの病院に行ったら肺癌に肺炎が併発していると言われた。それでこれからがんセンターへ行くのだと言う。 息子にカンボジヤでの仕事を継がせようかと考えていた。息子があと3歳年上だったら、だがまだ若すぎる。何とか生き延びなければならないと言う。もう3、4年経つ。私が指摘した胸部X線の異常に何も手がつけられていなかったのか。時間の経過とともに肺癌が拡がり肺炎を引き起こした。肺癌が肺炎をきっかけに見つけられる事はよくある。 私が指摘した部分は癌によって組織がひきつれて線状に写っていたのを外科医には診断が出来なかったのだ。その外科医は初診の時以来診察を行ってはいない。初診時に試験開胸をすべきだった。せっかく私が指摘したのだが、私がそこいらのつまらぬ女医と思ったのだ。良くあることだ。その病院はある私立大学の出張病院だった。私は病院に電話をしたがその医者は別の関連病院に移り連絡出来ないと言われた。その程度の呼吸器専門医なら私も専門医だ。 もっとも私の甘い選択が第一原因である。それがすべての不幸の始まりだった。あそこにすればよかったと心から思い、取り返しのつかないことをしてしまったとなげいた、今もだ。 

2、3ヶ月ほどして夫が死んだと妻が報告に来た。清々した様子だったので私は少し許された気がした。家では長年言いたい放題、やりたい放題をしてきた夫のことを妻はうとましく思っていたとしても不思議ではない。結婚をしているのに離婚したなどと私に言ったこともあった。 私は葬儀会場のある焼場に行った。せめて安らかにあの世に送り出せる1人であればと思っていた。彼が豪語していた華々しい人間関係にもかかわらず棺のまわりに集まったのは家族を除くと事務的に働いているような3人しかいなかった。葬儀はなかった。 

人間のすることだから失敗はつきものである。がその失敗が命に直結するのが医師という職業である。 その時どのように患者さんの家族とともに耐えていくか?治療中の信頼関係と苦しんでいる患者と家族への共感だろう。 一年後また見ましょうと言われてどれだけの重症感を持つことが出来るだろうか?どうでもいいと同じ響きである。 大きな金額の訴訟問題になることもあるがこれは病院の磐石の守りがあるので突破は不可能に近い。これは別項で述べたい。 

今私は何をすべきか?そのような1人よがりの医療体制がどこでもあることを知ってもらいたい。一人の医者に診断を任せないことである。 私の先生の不注意で取り返しのつかないことになった患者は生きている。医者はすでにいなく苦しみから解き放されている。

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