離婚を決意させた一言。

今回離婚に踏み切る前、実は3年前の秋頃、いよいよ悪化する元夫の経済状況に嫌気がさし「このまま一緒には暮らせない。一度実家に帰って反省して来て」と元夫に告げ、家を追い出したことがあった。今抱えている案件が全部まとまれば300万円くらいになるだとか、そういう話ばかりをしながら、半年ほど生活費も入れられず、打ち合わせのコーヒー代にすら事欠く状況になっていた元夫に、浮ついたことばかり考えずに定収入のあてを作って欲しい気持ちがあった。

どこに出かけるお金もなく一日中家で仕事をされるものの、家事や食事作りでは大した役にも立たず、帰宅して顔を合わせるのが憂鬱だった。自ずと外での飲酒が増え、帰宅は深夜に及んだ。旅行や出張で家を空けることも多くなった。あと数年で40歳、子供はどうするという不安も強く、甲斐性なしの夫を受け入れ、ひとまず子供だけは作っておくかという気にもなったが、それを許すとどこまでもズルズル行ってしまいそうなのがイヤだった。

友人に車を出してもらい、生活に必要な最低限の荷物だけを持ち家を出た元夫は、その後カードローンなどをやりくりしながら死にものぐるいで仕事を続け、ようやくある程度の定収入が入る見込みをつけ、返済が急がれない借金を残しつつもいくばくかの貯蓄もでき、定期的に会って食事をしたりする関係に戻ることができた。この先どうしたいかを真剣に話し合い、一年弱の別居期間を終え、再び同居生活に戻った。

戻った当初は、次は子供を作ろう、お金を貯めて旅行に行ったり美味しいものも食べようなどと調子のよい話が続いたが、滞納していた税金や私からの借金はなかなか返済の話が出ず、またもやストレスが募り始めた。結局、半年後には貯めたお金のほとんどが生活費に消え、収入がほとんどない以前の生活に戻った。

その後、さすがに定収入が必要だと、朝4時に起きて生協の商品仕分けをするアルバイトを始めた。早朝に起きるために10時に就寝するようになったので、夜の10時まで外で時間をつぶしては帰宅する毎日になった。税金や保険料の督促の郵便物も頻繁に届いたが、何とかなるという言い訳だけが続いた。そんな中、具体的にどういうシチュエーションでそういう話になったのか記憶が曖昧だが、ある日帰宅した後、まだ起きていた元夫と口論になった。

「ずっと家を空けてばかりでどういうつもりだ。そもそも子供はどうするんだ。うちの世帯収入的には子供が持てるはずなのに...」

あまりの台詞に言葉を失った。頭の中でプチリと何かが切れる音がした。

「いま自分が何を言ったかわかっている? 誰が子供を生むの? 誰が育てるの? 世帯収入って何だ。ふざけるな!!」

深夜に家を飛び出し、明け方まで飲み続けた。酩酊した頭の中で、もうこれで終わりだという声が響いた。昨年の11月末のことだった。

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はなねこ

東京都調布市在住の40代サラリーウーマンです。27歳から40歳手前まで続いた最初の結婚生活に終止符をうちましたが、42歳で5歳下の男性と再婚、43歳ではじめて子供を産みました。9ヶ月の産休育休を経て仕事に復帰。キャリアや結婚生活、育児のことなど思うことを綴ります。

13年目の離婚。

2015年に別のブログサイトで書いていた文章を引っ越してきたものです。今では再婚して子供がいますが、当時の心境を保存しておきたく、年齢などの表現はそのままにしてあります。
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