心理学検定 A領域(歴史ー①17世紀~近代心理学の父、ヴントの功績まで)

心理学検定  総論 ーA領域(原理・研究法・歴史)ー


今回は、歴史の項目についてです。


※歴史が覚える要素多そうなので、ストーリー調に流れをみせてみるべく、書き連ねてみました。

ここでは歴史的に 学問心理学を見ることに気について考えてみたいです。 なぜ心理学の歴史を学ぶのかと。 歴史は現在を知るのに重要なことだから。

歴史的に考えることの意義について

心理学は魂の学問として長い伝統を持っていると 一つの学問レシピに規律学問体系として始まったとされるのは19世紀末のことである。

19世紀末頃というのは日本で言うなら明治維新以後のことである 個人の人生を物差しにすれば心理学が成立したのは随分昔のことだけど他の学問と比較するなら決して長い歴史を持っているわけではないですね。

今心理学と呼ばれているもの全てが最初からそのままの形で心理学を形成したというわけではないです。

心理学の歴史について 簡単に見ていきたいと思う 心理学史を大分昔から遡って始める人も多いけど簡単に17世紀ぐらいから見てみたいと思います。

17世紀頃の話。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚 を五感と呼びますが それぞれ視覚、聴覚、触覚、に注目することで人間の性質を考えようとする流れが哲学の中に芽生えてきた様です。それで17世紀末には視覚と触覚を巡る「モリヌークス問題」というなるものが起きました。

この「モリヌークス問題」というのは簡単に言うと 〈立方体と球体を触覚で区別できる生まれつき目が見えない人が、成人してもし目が見えるようになったなら、見ただけで(視覚だけで)両者を区別できるか〉というものです。
「モリヌークス」っていう名前はこの問題に最初に関心を持った人の名前みたいです。  

この問題で、哲学的な論争がその当時行われたそうです。
これに対する論争の答えは人間についてどのような根本的仮説を持つのかによって異なりました。2つの概念の論争に別れたのです。

まず一つは理性主義というもの。 二つ目は経験主義というものに、です。
一つ目の 理性主義というものは人間には観念が生まれつき備わっていると考えるので、目の見えない人に新しい感覚(ここでは視力を得る感覚)が可能になればその新しい感覚は既に存在する観念を理解することができる(何を見てるかという判断も可能)という答えになることですね。
二つ目の経験主義という考え方、 からすれば感覚から生じる観念の判断は経験を必要とするので、目に見えない人にとって新しい感覚が可能になったからといって即座に何かを見たり判断したりすることは不可能だという答えになりますね。

このように、実証的な心理学が始まる以前は触覚と視覚をめぐる問題は哲学の問題として扱われていたらしいです

 やがて、経験主義の立場が正しいということが認識、共有されることになりました。経験主義が実証によって正しいとされたんです。

19世紀以降、感覚や知覚の研究にも実証を行う自然科学の影響は現れ始めました。

ドイツの物理学者ウェーバーは、感覚の問題に関心を持ち、重さの違いの弁別、第二点閾の研究などです。

同じくドイツの物理学者フェヒナーも、感覚の大きさ、刺激の強さ、を用いた、フェヒナーの法則を提唱しました。フェヒナー自身は心理学をしようとしていたのではなくて、意識と世界の関係を知りたいという興味のもとに研究を行っていたようです。

彼の学問は精神物理学と言われているそうです。 フェヒナーは様々な実験データをもとに、この法則を導いていたため、その工夫が心理学の発展に大きな貢献をしたとのことです。

そして、ウェーバーやヘェヒナーと同じライプツィヒ大学で心理学の体系化をしていたのがヴントです。

この、ブントが、後に近代心理学の父として知られる様になります。

ヴントの心理学

ヴントは医学を修め、生理学的実験手法に習熟していました。
その上で感覚・知覚にも興味を持って研究をしており、心理学の知見を体系的にまとめました。 チューリッヒ大学教授の職を得ることになり、その1年後、1875年にライプツィヒ大学の哲学教授に就任しました。

あの有名な心理学実験室の整備もライプツィヒ大学での出来事です。
 

現在、1879年を近代心理学成立の年として することが多いのですが、ヴントの実験室が大学から制度として認められた年であるとされています。
ヴントの心理学は、その当時において多くの人たちの関心事項を手際よくまとめたという側面がありました。

精神(感覚・知覚)や精神遅滞・異常に関心を持つ人たちは、自然科学の発展とともに、精神を自然科学に扱おうとする思考を強めていましたから、ヴントが生理学を参考に実験システムを整えると熱狂的に歓迎したんです。

また、ヴントは、ライプツィヒ大学で教育カリキュラムを整えて、特に博士号を授与するシステムを整備したため、国内外からヴントのもとに多くの学生が集まり、そして、ドイツのみならずアメリカで心理学を普及しました。
 

 このようにヴントは多くの学問の蓄積の上に、新しい学問である心理学を構想し、その方法を整備したのです。ただしブントは心理学の範囲を感覚や知覚の実験に限ったわけではなく、当時のドイツで既に勃興していた民族心理学の影響を受け、高次の精神過程においての研究も必要だと考えていました。個人心理学のために実験が必要であり、民族心理学のためには観察と記述が必要だというのが彼の考えだったみたいです。
 

 そして、ヴントの心理学は、感覚・知覚を対象とした実験心理学から始まりましたが、精神的な異常・苦痛、人間成長のプロセス、集団行動についても心理学の一部として関心が持たれるようになりました。

 ヴント、すごい人だー!(驚)       

(次回の記事に続く)→

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