自分を表現する終わりなき旅

僕は、思い込みが強いです。自分の悪いとこかなーって思っていたんですけど。でもその一方で、その思いこみが強い事が果たして本当に良くないことなのかなーと考えたりします。
(ちなみに、1つの捉え方をまた、違った視点で捉えなおす事を心理学の用語で、リフレーミングといいます)。

考え方の癖とか歪みとか そういった物事の受け取り方・捉え方も〈認知〉の歪みというんですけど〈認知の歪み=自動思考、ともいわれる〉、そういう物事の受け取り方も柔らかくするには...

僕なんかの場合は、自分がこういう事をしてしまったからあんなことになったんじゃないかとか、思い込んだり、考えが飛躍しすぎたりするんですね...。それで、更によろしくない方向に考えてしまいがちなんですね…。そんな風に良くない方向に考えてしまって、それがたまたま現実になると、よりその思考パターンが強まったりして、自動思考が強くなってしまうと。

だから、普段、自分の思考パターン、クセをまず知っておく事が大事かと。まず、知ることから。
こういう風に自分は考えるクセがあるんだな、と、普段から少し気にかけておくだけでも違ってくるのかなと。
僕自身、以前よりは物事のとらえ方が、柔らかくなれたのかもしれません。

ここら辺のトピックは、認知行動療法といわれる専門の範囲なので、専門家に支援してもらうものだと思うので、自分が述べるのは!?...と思うのでフェードアウトします苦笑。

ちょっと話がそれてしまいましたが…。

 




これからが今回の主訴です!


自分という存在を表現するとは?


自分という存在を表現して出すとは? それは、自分とは何か?っていろんな問いを自分自身に投げかけてみる事じゃないかなぁと。

こう考えたらどうだろう?とか、過去にこうだったから、今はこれとそれを組み合わせてみて、こんな表現方法はどうだろうか?と。 やっていくうちに無駄と思ってたことが、そもそも無駄とか失敗なんか無かったって思えたり。

自分を表現するとは、夢を追う、終わりのない旅の様なものだと思う。

夢はあります、こういう事がしたいですって言う前、既に一歩先に踏み出せてる人。 そんな人達が僕の周りにはいるんです。心強いです。


そして、自分がより豊かに主体的に生きられる様に、

「現実の自分」と「理想の自分」のギャップを…、
そのギャップを徐々に少しずつ埋めていく作業ができていけたらって。
その場所で。
自己実現と、そして、その先に向かって。

自分の夢が人から揶揄されようと、何か言われるほど、
そんな風に揶揄される程、
自分の夢は素晴らしいんだって、誇りに思いたいです。

実際、自分も今、夢(大志)は現在進行形で、苦難の道程だけど、だからこそ、そのプロセスを楽しんでいきたいです。

大志、そして、宝探しは、もしかすると、宝そのものでなくて、宝探しの地図その物だったり、実は身近にあったりして…。

僕の、その居場所。いろんな人とつながれる。
そのことで生きている実感を持つことが出来る。

その団体(法人)は自治体から認可を受け、運営されている地域施設の入会条件を満たすば、施設の日中の居場所として利用できたり、臨床心理士によるカウンセリング(心理面談)等で、心の悩みを聴いてもらえます。その心理面談は、自分の心の中の、無意識の領域にフォーカスを当てて自分を内省できる側面も持ち合わせています。
*(臨床心理士等による心理の専門家が、臨床心理学を基にして、地域支援、心理的ケアを提供してくれる団体です、全国的になかなか無いぞ!)その団体は、? というところです(あっ!僕のプロフィールにその団体の名称が書いてありました!よろしかったらプロフィールをご覧ください<m(__)m>)
このページで団体名を名乗らないのは、あまり知られたくないからです(とても良い居場所なので苦笑)
HPあります。
http://npo-aspirant.com/

親の命日が今日、4月10日ということで、思うところありまして、自分の心境を書いてみました。 (ここのところ、勉強の方もペース良好♫) 

最後までお読み頂き、ありがとうございました(^.^)

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