AIを活用した天理教の教理研究

「学び」とは

わたしたちは「学ぶ」ことで「気づき」が生まれます。「気づき」は心のなかで化学反応を起こし、自分自身の生きる心をつくることでしょう。「学ぶ」ことで、私たちの思考回路が増えていきます。それは、将棋の藤井翔太プロ棋士がいくつもの手が浮かぶことと同じものです。生きる手段が増えるといっていいでしょう。

毎日の生活のなかで、私たちは3万5千回もの決断を行っています。朝起きて「トイレに行こうか?それとも、朝ごはんを食べてからにしようか?」といったシンプルな決断から、「友人との約束を優先するか、家族との時間を大切にするか」など毎日決断の嵐です。有名な話に、元アメリカ大統領のバラク・オバマさんは、必ず決まった服を着ていたと言います。決断をなるべく少なくして、重要な決断にだけ注力していたためです。

この決断のほとんどが基本的に無意識で行われています。もちろん、興味のあるものや意識的に考えていることなどは、自身で決めたという感情をもっていることでしょう。スーパーのチラシを手に「あちらの店より安いからこれで」と決めた場合は、自分で決めたと思い込むことができます。

しかし、妻が突然「前に言っていたもの買っておいたからね」と言われた時、「えっ!なんの話!?」と、まったく記憶にないということもあるかもしれません。その場合は特に無意識での決定が行われている証明になるかもしれません。いまさら妻に「やっぱりこっちで」と言ったらどうなってしまうか想像が易いです。ですが、大丈夫です。無意識が決定してくれたことさえも受け入れてみてください。案外、自分の気持ちとは正反対だったとしても案外ものごとがうまくいく可能性が高いような気がします。

私たちは無意識で、たくさんの決定をしている。それを決めるのが心ですので、心を成長することで、無意識の決定にも影響していくことになります。

心のくせ

無意識の決定に影響する心。それは、意識のあるときの行動がとても力になってくると考えています。「毎日つまんないなぁ」と言って暮らす人と、「毎日ありがたいなぁ」と言って暮らす人は、その日だけを見たら大差はありませんが、一年たったときとんでもない差ができています。

それは「神様から見た場合ですか?」と聞かれる場合がありますが、そうではありません。「人の成長」という意味でとんでもない差が生まれるという意味です。

「毎日つまらないなぁ」と口にしていると、まず人間関係がうまくいかなくなります。人は楽しく生きるために生まれてきました。ですから、楽しそうな人に人は集まってきます。「もともと人間関係が得意ではないんですが」と相談を受けることがありますが、もともと得意な人はいないんですね。生きるコツをつかんだ人の姿が人間関係が得意のように見えるわけです。もし、人間関係がうまくいかないなぁと感じた時は「自分を楽しませるために」生きてみようと思うだけで、多くの人が人間関係を円滑にすすめられるようになっています。ですから、「毎日ありがたいなぁ」と生きている人は一年後、素敵な人間関係を結ぶ力ができていると考えていいかと思います。

人間関係だけでなく、健康、金銭もそうですし、「運」という見えないものさえも味方につけるようになれるかなれないかという差ができてくるわけです。

そして、学びという面でも「毎日ありがたいなぁ」と言うクセだけで、気づける量がとてつもないものになるわけです。学ぶ上で、精神を安定させることが一番の学びになるということを心の片隅においてみてください。

心の成長とAI

自身の心の成長になると言われる学び。毎日「私たちは学ばなきゃいけない」と思わなくても、生きているだけ学びをつづけています。もちろん学びを求める心は多少なりとも「学びを深める」作用はあるかもせれませんが、学びとは私たちの脳内で生産された宝ものです。

天理教は歴史的にみて百八十年の歳月のなかで、新宗教のなかでは日本国民に少なからず多大な影響を与えてきました。一体なにを伝えてきたのか。3つ挙げてみます。

まずは、科学万能主義がまかり通る現代において、心が大切だという価値を伝え続けている。何がなんでも心からなんだよ。

次に、心で楽しみを味わうために人間は生まれてきたという人の存在価値。

そして、楽しむことを世界中でいつまでも続けるために、人と支え合う一手一つの心がいつまでも効果があるよ。

教学の研究では主に、史実からみる教えのありようにスポットを当てる作業となる。その場合、AIを活用し、過去から現代おけるテキストの検索作業として役に立つだろうと推測できます。一方で、宗教的たすかりの側面では、心の感じる部分となり、最終的に教学とたすかりを融合する作業は実際に人が考え、アウトプットする必要性を感じている。

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