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泣いてもいい

何年ぶりかな
お盆休みをとった
と言っても実際的には夏休み1日になるんだw

今年はカレンダーで8月のお盆は平日が金曜日だけだったから、金曜日にお休みをもらったら
土日の週末挟んで連休になった

オフといっても緊急時には対応しなくてはいけないから
待機、という状態で
しかも何かあれば電話も普通にある

それでもやっぱり身体はオフモード
自分に優しい服で身を包んでみて
あぁ、仕事着と違って
こんなにも優しい気持ちになれるんだなぁと
ほぅ〜っと息をつきながら
ぼんやりと雨降りの外を眺めたりなんかした

時間がやわらかい
時の流れがゆらりゆらりとしている
何時までに何をするというノルマのない時間が
なんだか他人様の世界の中に
ちょっとすみません、時間をお邪魔してます、みたいで誰にということもなく申し訳ない気持ちになる

身体が止まることをずっと長いことしてなかったせいで
こんな風に急にオフにしたから
まるでパソコンを強制終了したみたい
身体を動かすための脳の方がピタッと止まった感じになってしまった
休み明けに仕事にならないかもしれない
1日の内にちょっとでも仕事脳を動かしておかないといけないかも
そんなことを本気で思っていた

そんな時に仕事の呼び出しがかかった
出られなかった
身体が拒否した
冷や汗が出て、手が上がらないくらいになった
すぐにメールが来てメールで返事をして
情けなく思った自分をどさっとイスにもたれさせて手帳を開く

同じ記述を何度も読み返す
タロットを引いてもらった時の言葉
石のリーディングの時の言葉
最近のチャクラカードでの言葉
どれもこれもみんななんて温かいものだろう
ひとつひとつの言葉が温度を持って心にじんわりと広がって胸を熱くしてくれる

込み上げてくる
ダメ!頭の中でとても大きな声で止めた気がした
たぶんかなり長い間堪えていたから
今出してしまうと自分でも受け止め切れない
そう思考が感情を止めさせた
自分の気持ちをわたしは裏切ってしまった


何事もなかったように始まった新しい1週間
まるで数週間ぶりの出勤みたいな気持ちで
休んで申し訳なく思う気持ちを
どうしようもなく抱えている自分にため息が出る

休みの間は
何度も何度も込み上げてきて
多分 泣いてしまえていたら
どれほどか解放されたかもしれなかったのに
泣けないわたしと
泣かない自分と
それはまるで右顔と左顔みたいに違っているようでもあって、同じようでもある

仕事をしている自分はどっちの顔なんだろう
仕事をしているのは一体誰なんだろう
右顔でもなくて左顔でもなくて
どの側面のわたしなんだろう
そんなことを仕事中に
頭の片隅でモヤモヤさせてしまった

なんとなく分かったのは
ある意味今まで、それがあったからこそ
乗り越えられてきたんじゃないのかなということだった

そういう支柱みたいな
支柱があるからこそ朝顔が育って行く、みたいなモノ
でも多分もうきっとわたしには支柱はいらない
多分きっともうわたしは支柱がなくても立っていられる

泣いたとしても
ダメにはならない
泣くことは弱さじゃない
だからきっと泣いても大丈夫

むしろ支柱がない方が
しなやかな強さで歩いて行ける
そんな気がした

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