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自分で選べるということを忘れている人たちへ

いつから人の言葉を素直に受け取れなくなったのだろうか?

ふとそんなことを思いました。

はっきりとした記憶はないけれど、小さい頃は周囲からの褒め言葉に意味もわからなかったけどいいこと言ってくれているのかなと素直に喜べた気がします。

小学生になり、学校という小さなコミュニティに入り、空気を読むとか幼いながらに必死に小さな世界を守っていた気がします。

あの頃は何かある度に"絶交だ"とか言っていた子が多かったような思い出です。
言う側と言われる側があって、どちらにも属したくないという気持ちが強かったです。

小さい幼いながらにもカーストはあり、大人の社会と違うのはいつでもそのカーストは覆されるということでした。

その中でみんなが培ってきたのは本当の事を言わずに相手に合わせて話をするということでした。
そこに自分の意見や考えは存在してませんでした。

褒め言葉や同意の言葉、それがその社会の中で生きていくのに必要なツールとなってました。

例えば可愛いね!とほめられたとします。
その時あなたはどう返すでしょうか?
否定しますか?感謝の気持ちを述べますか?それともあなたの方が可愛いよと返しますか?

中学時代可愛いと褒められた時に否定しなかった子がいました。
その時、え?なんであの子否定しないの?自意識過剰じゃない?って裏で言ってる子がいました。

え?そう思ったから褒めたんじゃないの?そこ否定しないと悪口言うの?
よくわからないなぁと思いました。

当時正解とされていたのは
そんなことないよ~○○ちゃんのが可愛い~
って返すことでした。

褒められたら褒め返す。
気持ち悪いくらいテンプレのようになっている会話でした。

逆を返せば自分が褒めて欲しいから褒めるということをする子もいました。

自分の気持ちではなく相手との関係を求めて会話を話すことが多くなり、そこに本当の気持ちなんてあるのかな?って思うようになってしまう。

もちろん、面と向かって本人に嫌いっていう人はいない。
その人に気に入られたいから褒める、空気を壊さないために褒める、もちろんお世辞が必要な時もあります。
そして、本当のことだからって言って言わなくてもいいことを言うことは違います。

気持ちの悪い確立されたルールの中で生きていくことはたいへん生きづらくて、それでも協調性を養うためにしなければならないことでした。

その中で、人を信じていた私は騙されたことも多数ありました。
その人と人間関係が終わって連絡もとらなくなった人もいます。

それでも私は
騙した人と今信じたい人は違うから。
と言って人を信じたいという気持ちが強いです。

自分は感情的なことに関しては特に嘘をつきたくなくて、自分の言葉に責任を持ちたいから自分の気持ちを騙したくなくて嘘はあまりつかないようにしてます。

それでもそんな人は少なくて、人はほとんど建前で生きてると思ってます。
私がそうだから周りもきっとそうだ!と思うようなことはありません。
そして私自身も建前の仮面を被る時はあります。
あまり親しくない人や大人の方と話す時はオフィシャルモードで話すからです。

ただ自分が素直に接しているどんなに親しい友人でもたまに無性に不安になる時はあります。
本当に私のこと仲良しって思ってるのかな?
一緒にいて楽しいかな?
うざいことしてないかな?
好きだから、仲良くしたいからこそ不安になってしまう。

本当は100で信じたいし、信じて欲しい。
でもそれは難しくて、ほとんど実現しなくて…。

人の感情を推し量るのは1番難しいし、きっと誰もがわからないことだと思います。

人は1番自分が大事だし、損得感情が働いて動いていることもわかってます。

真っ直ぐに生きてる人が生きにくくて、上手く建前を使ってる人が生きやすい世の中ってこともわかってます。

それでも私は素直でいたい。
それでも自分に嘘をつきたくない。
これが私の選んだ伝える側としての選択です。

綺麗事とか偽善とかそんな言葉で片付けて欲しくないほど自分だけは信じたい人間でありたいと思ってしまいます。

もちろん全ての人がこういう人になると生きづらいですし、私も困ります。
大切なことはどんな自分になりたいか選ぶことです。

人間関係難しいです。
悩むこと、衝突、辛いこと沢山あると思います。

例えばアンチとかあって嫌なもの、嫌いなことがあるとします。
私は聞き入れなければいい。
と思っています。
だってその人の主観だもの、1人の意見であり、それが大多数のことでもない。

褒め言葉だってそう、それはその人の意見であってみんなの事じゃない。

他人の一挙一動が気になること沢山あったけど、どれも個人のことだと思えば小さなことだなぁと思えるようになりました。

他人の言葉を信用しなくてもいい。
自分が信用したいことを選んで信用したらいい。

と言っても、それが犯罪や詐欺とかだったら信用したらダメだから金銭とか危ない話は信用したらダメですよ?

相手が発してくれる自分への言葉の信じたいところを信じればいい。
私はその中に愛のあるダメ出しや叱咤も入れてます。

みみざわりのいい言葉だけを拾っていけばいいという話じゃなくて、記事とか勉強とかと同じで自分に必要な言葉だけを受け取るようにしたらいい。

聞かなくていい、無駄な情報に振り回されるのは時間の無駄でしかないし、反応する必要性もないです。

すべての情報に惑わされず、受動態じゃなくて、相手からの言葉も自分で選択できるのです。

ただ話を聞く、話すだけじゃなくて、決められたテンプレを話すだけじゃなくて
どういう自分になりたいかと考えて選択してみてください。




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