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好きな時に、好きなように、好きな事を


ぬるっと、まいにち更新を止めていた。止めていた、というよりは、止めてしまった、という言葉の方が近いのかもしれない。止めるぞ、という明確な意志はなかったから。気付いたら(寝落ちしてたら)、日付を超えていた、という感じだった。


あ、終わったなあ、というのが正直な感想。そこまで落ち込んでない、自分にがっかりしていない。けど、終わりは自分で決めたかったかもな~という、ちょっと後悔。後悔?なのかは分からないけど、あーあ、と言う気持ちは無きにしも非ず。


ぬるっと、コロナ渦の3月末に始めた毎日更新。毎日書くぞ~!という意気込みで始めた訳ではなく、毎日思うこと、考えたことがあったから、それらを記事にしていたら更新が続いていた、という流れだった。


数えてみたら、380日続いていたみたい。365日と、15日。よく続いたなあ、と我ながら思う。日記を続けられたことなんてなかったし、勉強やストレッチとかの、毎日こつこつが推奨されるものたちを、上手くやってこれたこともなかった、のにね。なんでだろう。

単純に、楽しかったんだろうな。こうやって文字を書くことが。思っている事を言葉にしていく作業が。それらを残していく事が。考える事、書くこと、読む事、そしてまた考えて、書く、みたいなね。書かないこともたくさんあったけど。


毎日更新を終えて(終わってしまって)、ほっとしている自分がいるのも事実。寝る前に、あ~まだ今日のnote書いてないや~~って思わなくていいのは楽だなあ、とここ3日くらい感じてる。まあ実は、下書きはたまっているんだけどね。文章ともいえないような、ただの言葉の羅列の記録、のようなものを細々と残しておくのもアリだなと思って。いや、思ってっていうよりは、ただ書きたいなと思って書いてるんだよな。


やっぱり書くことが好きなんだと思う。いまもこうやって書いてるしね。これからは毎日!とかにはこだわらず、書きたいときに書いて、公開したいなと思ったら公開していきたいと思う。


毎日の研修で、「だれかに見られる」ことと「何かを得たこと」を前提とした「感想」を書く機会があって、それがなんだかとても難しいなあと思ってて。そういうシステムが良くない!と言いたいわけではなくて、得たことを言葉にするのはすごく大事だと思ってるんだけど、なんていうか、その日得たことを、その日すぐにきれいにまとめて言葉にするのが難しい。きれいにまとめよう、と思わなくてもいいのか。でもこの私のnoteみたいにつれづれと書くのはきっと違うよな。相手目線がない。あ、つまりこのnoteは相手目線がない。


それなのに読んでくれている人がいるってすごいなあ。



これからどのくらい書くかはほんとうに分からない。明日も書くかも、書かないかも。でも、色々と読んではいます。書くのも好きです。冷たいしとしと雨の日曜日でした。



ありがとうございます。がんばった日の、コンビニスイーツを買おうと思います。