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家族の”老い”を受けいれられない私。

おばあちゃんが認知症になった

おばあちゃんが最近忘れたりすることがおおい。というのも、2年前におじいちゃんがなくなってしまっておばあちゃんは一人暮らしを始めてからおばあちゃんは結構不安定だった。60年以上一緒寄り添って暮らしていたおじいちゃんと離れるショックが大きかったのだろう。最初は、携帯の使い方がわからなくなったり、おばあちゃんのために予約したごはんを家族全員で食べに行ったとき家族への配慮なしにごはんに対しての文句を平気でいうようになったり、年をとるといろいろ難しくなってくるのかな?ぐらいに思っていた。また時間が経てば落ち着くと思っていた。

でも、お姉ちゃんとおばあちゃんが2人で旅行に行ったとき、おばあちゃんはお姉ちゃんの顔を忘れてしまった。少し時間がたったら思いだしてくれてなんとかなったのだけれど、その話を聞いた時に本当にじいちゃんがなくなってしまったショックを上手に受け入れられていないのか、生活で人と一緒にすごす時間がすくなくなってしまったから孤独感からくるもがいかに重大な問題なんだと実感した。

日々時間が経つほどにいままでできていたことができなくなる。

「あ、これっておばあちゃんぼけつつあるんだ」。私はショックだった。おばあちゃん自身も自分がぼけているかもしれないと認めたくなくて最初は病院に行きたがらなかったが今月検査をうけたら、やはり認知症という診断だった。ニュースでたくさん認知症患者が増えているって聞くけど、実際の自分のおばあちゃんがなることなんて想像していなかった。

ワタシの家族って結構”地方の典型的な家族”かも?

私の親族は、はたから見ると少し異常といわれてしまうかもしれないが家族の関りをとても大事にしている家族だ。簡単に言うと、「典型的な地方の理想的な家族」である。親族一同が同じ地域にすんで、おばあちゃんの家に行くのに徒歩五分とかのレベルで本当に親族がいつも近い場所に住んでいる。なにかあったときに助け合える場所にいること、何かあったときにいつでもおめでとうって直接言える機会があること。を大事にしている。

最近は核家族が増えてるといニュースをみても、私の親族は小さいころから深いかかわりを持っていたため、想像ができなった。小学校のころ帰省してお土産を買ってきてくれる友達が本当に心の底からうらやましかった。今は、スカイプとかラインとかできるから遠くにいても関われることはわかっている。でも、実際会って過ごす時間の価値はツールを通してコミュニケーションすることに越えられない何かがある。特年齢層が高くなればなるほど現代の機械になれてないとこが多いから、よけいに感じやすいのかもしれない。とにかくうちの家族は近くにいることがすごい価値のあることだと思っている。だから小さいときからはとこやいとこととてつもなく仲がよかった。いっぱい遊んだしよく泊まりにいった。小学校の頃は、かぎっ子だったからか、両方のおばあちゃんとおじいちゃんと遊んでもらうことがほとんどだった。

あれ、自分一人東京にいるんだっけ。

大学進学のために一人で東京にきた。もともと大学進学をするときに東京にでることを親族が大反対だった。広島から外に出る家族が私以外ほとんどいないこと、広島と東京が結構遠いこと、また私のナイーブな性格を心配して東京に出ていくことを心配していたのか、もちろん経済的な不安も大きかったかもしれない。親族一同私の進路について真剣に話てくれたし、それでもみんな反対だった。行ってほしくないっていう話の中で泣かれたこともあった。それは私にとっていままで目上の特別な家族が私に反対して涙を流すなんてショックでしかなかった。

その中で、一人のおばあちゃんだけが自分のことを味方してくれた。「そんなに本当にいきたいならがんばってみんさい。」って。親やほか親戚が反対しても「いいんじゃないの!いきたいように行かせたら」ってずっとゆってくれた。私は家族に土下座をしてまで本当に大学にいきたかったから唯一近くで見方をしてくれるおばあちゃんだけが頼りだった。今の大学生活が充実しているのは、おばあちゃんが最初に私の唯一の味方になってくれたからだ。いろんな意見を言ってくれた家族にも感謝しているけど、やっぱりばあちゃんを頼りにしていて、大好きで、本当に尊敬している。

唯一東京で今の生活している家族がいる。それはお姉ちゃんだ。私のお姉絵ちゃんは自分の決めたことを真面目に最後まで貫く性格で、誰に何を言われようといままでの人生を親族の圧を気にしないような生活に私にとってはみえた。いまは東京で看護師をしていたお姉ちゃんだったけど、社会の圧を感じたのか、家族がかえってこいにひかれたのか、ままで東京で働いたり広島に帰ったりしてたけど、今年中に完全に広島に帰るらしい・・

遠いから気づけない家族の生活

地元広島では去年大きな水害にあった。全壊とかまでの大ごとにならなかったけど、自分の実家やおばあちゃんの家はあしがすこしつかるぐらい土砂が流れ込んでいて本当に大変な日々だったみたい。いくらボランティアさんが手伝ってくれたって今までの家族の使っていたもの、大切なものいろんなものを捨てたと聞いた。そのくらい酷かった災害である。

その災害があった当日は、おばあちゃんの携帯につながらなくて、本当に怖かった。何十回も電話をかけたし、テスト以外の授業中はメッセージを送り続けた。でも私は遠くにいたからこそ、そのくらいのことしかできなかった。落ち着いた夜、ばあちゃんから電話がかかってきて「携帯の使い方がわからんかったんじゃ。大丈夫よ。そんな心配せんでも~!(笑)」って軽い感じで言っていたけど、本当にその時の不安は忘れられない。ばあちゃんはいつも電話したら「楽しいどる?楽しいのが一番よ。」って言ってくれる。水害があったその日も同じことを言ってくれた。本当に自分が無力だなって、いつも助けられるなって思う。

ばあちゃんと電話すると涙が止まらない。

毎週電話しておばあちゃんの話きく。いつも始まりは「元気かね?」のおばあちゃんの声から始まる電話。すごく大好きな時間だ。でも最近のおばあちゃんは、自分が死ぬから、それに向けてなんかする、っていう話しかしない。そういう話を私はないもいうことなく聞くしかない。私は聞いてるとき、ばあちゃんにばれないように涙をこらえながら聞く。ばあちゃんは話したいのだ。電話をするとばあちゃんは、「電話できて楽しかった、よかったよ」て言ってくれる。だからやっぱり、聞く。

今、私自身、東京にきて生活していると毎日刺激的で本当に心の底から楽しいと思える。でも、ふとおばあちゃんを思い出すと、お家と老人ホームかスーパーの往復なのかも?って比べてしまう。私が小学生の頃は、海外に一人で飛び回っていておばあちゃんが買ってきてくれるお土産が大好きで、とっても楽しみにしていた。本当に行動的で好奇心旺盛でいつも魅力的な生活をしてる。だけど、いまは「わかんないことが多いけ~、いかん」って外に出ることをあまり好まない。私がもっと外に連れて行ければいいのにな。

それが困るのが帰省した時、さいきん頻繁に広島に帰るのだが、会うだけで泣けてくる。もう自分がよくわからないほどに泣ける。涙腺機能がおかしくなったみたいに・・・

もっと物事を受け入れられる人間になりたい。

こnoteを書いてる今も実は号泣中である。まだばあちゃんが生きてるのに、なんだか悔しいのとさみしいのと、よくわからない悲しみが襲ってくる。

人間の生活をしている以上は、出会いもあるし別れもある、そんなことはわかっている。でも制御できない感情がふとした瞬間に湧き上がってくる。もともと私は自分が期待していない変化を上手に受け入れるのが苦手で、時間がかかる。時には表現しきれない感情に押しつぶされそうになってしまうときだってある。でも何とかしなきゃと思っているからこれを書いているんだけれどどうしても整理して受け入れられないや。時間が解決もしてくれない。ただ現実逃避してお酒飲んでいるときぐらいしか忘れられない。そういうときも忘れられていないんだろうけど。

最近はごみの出す曜日がわからなくなったらしい。ゴミ出しの票をみても理解できないらしい。

今日はかわいいポストカードを送った。それを見てまた電話の話題になるかな。これからもおばあちゃんにいっぱい電話しよ。


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