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Is everything art?

そもそもアートってなんだ?と考えることが多く、私自身もそれを考え始めると頭がパンクして、大型映画館とか、焼肉屋とか、ダンススタジオとか関係ないところに逃げたくなることが多いので、最近は会う人会う人にアートは何?と聞くようにしています。そんな中、まずアートと聞いて私、アキーバ含めたほとんど全ての人が口にすることは、

アートは問いです。

答えは出さない、あくまで作品を通して鑑賞者に問う作業を提供するものだという意見が多く、私たちもそう信じています。

Everything is artという言葉を最近よく耳にしますが、それでは、問うことができれば何でもアートなのか?私はそれは間違っていると思います。

もし全てがアートだったら、犯罪が起きてしまう、誰かが傷つく、アートが許しに変わってしまったらいけません。

そう強く思うきっかけをくれたのが、Performance Artで名を刻むアーティスト

Marina Abramovic

1974年に行われt a Rhythm 0では、鑑賞者がテーブルに置かれた鎖や鳥の羽ナイフや拳銃などを自由に彼女の身体を使って良いというテーマでした。つまり鑑賞者が全ての主導権を握る6時間。

6時間続いたこの実験により、彼女の身体はモノ化して、主導権を握った鑑賞者たちが様々な危険を加えたといいます。(具体的には省かせてもらいます)
そして、時間が経ちオブジェだった彼女が人間として意識を戻し、主体に変わったとき、ボロボロの姿で歩く彼女を見つめる鑑賞者はいなかったそうです。鑑賞者は男性も女性もいました。

この作品から、特殊な環境下のもと、突然主導権を与えたれた人間の邪悪な部分というのが浮き彫りにされて、今でも語り継がれるパフォーマンスになりました。

https://www.youtube.com/watch?v=xTBkbseXfOQ&feature=youtu.be

もちろん私はこれを実際に見たわけではありませんが、このパフォーマンスを目の当たりにした人の話を聞いてから、アートを通して人間の内に秘めたものをみせるために私たちに語り続ける問いを残してくれたMarinaを心から感謝しています。

アート作品とはいえ、彼女に観客が施した行為が許されるのか、それがアートだったのか、そうではなく、この実験を身体を捧げて実行した彼女そのものがアートだったんだなと思います。



そして、Everything is Artではないけれど

Everyone is an artistという言葉は肯定したいと思います。

誰もがアートを作る人間になれます。それを楽しめるか楽しめないか、尊敬できるかできないかはもちろんその人次第ですが。

私たちは、アートを楽しめて、アートに悩まされて、アートを問うことを仕事にできているとても贅沢な人間だなと思っています。

すっかり春の陽気ですが、この春もどんなクリエイティブな選択をする機会があるのか、楽しみで仕方ありません。













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