人は冷たく息をする
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「お兄様があっさりと承認されるとは思いませんでした」
ぽつりと落ちた妹の言葉に、ザカライアは視線を遣った。枢密院における最後の会議から日を置いて、秘密裏に──それもめずらしく──生家へ帰ってきたと思えば、なんのことはない、想像どおり甥のことだったらしい。家令も全て人払いしたラトランド公爵家のサロンで、エディスはようやく、ため息をこぼすことを思い出したようだった。
中年という歳はもとより、幼少期から誇り高い妹である、さめざめと泣いてみせるかわいげなどあるわけもなかったが、それでもその悲愴感は隠せていなかった。伏せられた目、眦のあたりが、この数日だけでひどく痩せたように見える。
仕方がないかと、ザカライアは独りごちた。第一には、甥のこと。そして、父の命令により政略的に、また、使命感だけで嫁した相手とはいえ、それなりの年月を共に過ごした王の急逝である。幼い頃から見知っていたぶん、王城オクセンシェルナの中では、戦友のような思いもあっただろう──本当のところは、ザカライアには知る由もないけれども。何でも語らい合うような、親密な兄妹ではなかったので。
「反対してどうする? 事実は変わらないし、あれの意志が翻るとも思えないからね。おまえも陛下も、一度決めたら二度と振り返らないだろう」
「……わたくしたちとあの子は、血こそ繋がっていますが、違う人間です」
「そのとおり。エクレフの姫とその息子とは異なり、おまえたちの血は争えないのだよ、エディス。よく似た気性で、違う人生を選ぶわけだ」
ザカライアは笑い、執事が用意していった紅茶に手を伸ばした。淹れさせたのは、鎮静化作用のあるレクティータの茶葉を混ぜたものである。
「おまえも飲みなさい、思い煩ったところで疾うに時は過ぎたのだから」
憂い顔だったエディスも、ザカライアのその言葉には、険のある視線を向けた。あなたはいつもそうだ、とでも言いたげに眉を顰める。物分かりがよすぎる──より悪く言えば、諦めることが早すぎる。妹の心中を予想して、ザカライアは咽喉の奥で笑いを噛み殺した。亡き父もたびたび、さらりと乾いたこの気質について指摘したものだ。見限るのが早いということは、詰まるところ、酷薄な態度を得やすくもあるからだろう。それは、貴族院の長たるべきラトランド公爵、メディオフ家当主の振る舞いとしてふさわしくない。
だから外面ではなるべく、熟慮する人間を装っている。王の死、甥のこと、このたびの枢密院でのやりとりでは、そういった「ラトランド公爵」の印象を崩すような応答をしたと思う。先のエディスのひと言はそういう意味だろう──身内以外の人間にいつか問われたなら、あのときは動揺したのだとでも肩を竦めればよい。
「エディスはあの子を王位に就かせたかったのか?」
彼女がひと口、ふた口と、紅茶を飲み下したのを眺めて、ザカライアは訊いた。エディスはザカライアを見返し、一瞬、唇を小さく結ぶ。ややあって、わかりません、そう呟いた。
「わたくしは、そうなるものだと、どこかで思い込んでいたのだと思います。息子の戴冠を盲目的に信じていた、それは望んでいたとも言えるし、考えなしだったと懺悔すべきものであるのかもしれません」
ただ、と継いだ声は、微かに震えたようだった。
「あの子が死ぬことだけは許せませんでした」
それだけはだめだと、だから何を犠牲にしてでも遠ざけようと思ったのだと、両手でくるんだカップを見下ろしながらエディスは言った。
──枢密院で宣言された、甥の王位継承権の放棄を、ザカライアと同じく王妃であるエディスもまた否定しなかった。王子が望むのならと答えたきり、侃々諤々の貴族たちと距離を置いていた。ザカライアはそのさまを目端に捉えながら、おのれはどうするべきかを考えた。
「私はおまえが哀れだと思ったのだよ、エディス」
だからあれの宣言を認めた。ザカライアの告白に、エディスは弾かれたように顔を上げた。妹が青い目を瞠っているのを見るのは、幼少期ぶりのような気がする。
メディオフ家の兄妹は、特別に仲の良い間柄ではなかった。だが、仲が悪かったのでもない。家督を継ぐ者と家のために嫁す者という、互いに役目を負い、尊重しながら、家族として育った。恐らく、貴族の家においては普通の兄妹だっただろう。──そう、普通の兄妹なので、夫が急逝し息子の一人が極刑になるかもしれない彼女の不運を、ザカライアは当然のように哀れに思ったのだ。望むことは叶えてやりたいとも。そしておのれには、それを為せるだけの立場があったから利用した。簡単な話だ。
甥よりは妹のほうがザカライアに近く、『鳥籠の末姫』よりは甥のほうがエディスに近い。人はそうして物事に優先順位をつけていく。少なくとも、ザカライアはそのように割りきっている。
ザカライアは、静かに、口の端を吊り上げる。
「サディアスは助けた。戴冠はしないがそれだけだ。それでよかろう、エディス」
エディスは暫時、ザカライアを見つめ、何も言わずに目を伏せた。
有料部分は、後書きみたいなものとか最近のこととか。
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