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【読書録】魔法の世紀

落合さんの著書、魔法の世紀を読みました。

この本を読みたいと思ったのは、今、何故アートが経営者の間で注目されているのかを知りたいと思ったからです。

第二章の「心を動かす計算機」と第三章の「イシュードリブンの時代」に、その答えがありました。

第二章で度々出てくる「文脈のゲーム」と「原理のゲーム」という言葉があります。

文脈のゲームとは、作品の中に構造を作って、メタ的な意味を伝えるものです。うん、よく分からないですね。

例えばということで、ナム・ジュン・パイクという芸術家の「Reclining Buddha」という作品を紹介しています。

本来は動かない彫刻をビデオと組合わせて、イメージと物質の間にもう一つ新しいイメージを挟み込む、メタ的コンテクストを表現しています。

ふむふむ。現世の全ての欲求を経つことに成功したブッダが寝ている下で、裸の女性が寝ていますね。心の安定、涅槃の境地にいきたいですが、どうしても下のヌードに反応してしまいます。なんでしょう。理想と現実が共存しているこの感じ。僕は、これを見て、やっぱり理想は大事だけど、ゴールは無理だから、そこを目指しつつ騙し騙し生きていくかぁ、と感じましたが、人によって感じ方はそれぞれなんでしょうね!

一方「原理のゲーム」とは、文脈の中で戦うのではなく、凄い、とか美しいといった感覚に直接訴えかけるものです。

計算機の進化により、CGを作り、それをアルゴリズムで制御することで、感覚に直接訴えかけるレベルにまで到達することが出来るようになりました。

計算機パワーにものを言わせて、人の感覚をぶん殴ることが出来るようになったので、アーティストが計算機をどのように活用できるのか模索しています。こうして、アートとテクノロジーが融合しだしたとのことでした。

第3章では何故、問題を発見する力が大切だと書いています。

どう問題を作り(発見・定義)し、問題を自ら解くということが大きな価値を作れる戦略になります。

インターネットによってコミュニティが細分化して、文脈が飽和しています。このような状況なので、製品自体に自らの文脈を持ち、さらにその文脈の中で自分がいかに有用かを述べる事で、大きな価値を作ることが出来ます。

「原理のゲーム」をテクノロジーで直接問題を解決すること、という意味でも捉えると、「原理のゲーム」と「文脈のゲーム」の両方を使えるようになると、大きな価値を作ることが出来るようになります。

企業として「原理のゲーム」と「文脈のゲーム」の両方を使えるようになるために、経営者は、今アートを勉強しているのかな、と思いました。まさにアートが価値を作るために行なっていることこそ、今経営が必要としているものなのだと思います。

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