煩悩(26)「会わなくても平気」の感覚

どうも、花輪です。

これの次で、ようやく四分の一の煩悩です。書いているうちに、別れた自分を正当化したいだけなのではないかという疑いを自身に持ち始めました。

違います、いや、違うかどうかは終わってからよくわかるはずです。

がんばれよ、のこり四分の三の自分。

ひとりでいるのが割と苦痛にならない私ですが、近ごろ怒涛の勢いで人に会っているので余分に寂しさを感じています。

私と5年目の彼氏との「意識の差」のひとつに、会う頻度が仲の良さ(心の距離的な意味での)の指針か否かが挙げられました。

私は、各々忙しい時には離れていても平気なタイプ。
彼は、会う頻度を低くするのに抵抗があるタイプ。

お互い「うっそだろ、お前どうしてそんな風に考えんの」と思っていたように感じます。そこら辺の考え方の違いについて話しはじめると、500%ケンカになるのである程度の距離感と頻度を保つ生活を送っていました。

思い返すと、そこらへんの違いを埋められなかったことも別れた要因のひとつに挙げられるでしょう。

なにが違ったのか。

おそらく、5年目の彼氏は仲の良さを「可視化」したかったのでしょう。

私としては、会わなくても彼との距離を感じたことはありませんでした。「会わなくても平気」と思えるくらい信頼していた、といえば聞こえはいいですが、単に足が重かったのかもしれません。一方、彼は「全然あってないじゃん」「飯だけでもいいじゃん」という考え方をして、二人の時間をつくろうとしていました。

「二人で会う」経験は、経過した時間が証明してくれます。そうやって実際に見えたり感じたりできるものさしで仲の良さを確かめたいか、そうでないかが二人の間で少しズレていたのだと思います。

これに関しては、私も彼も悪いと言えません。どちらかと言えば彼に歩み寄れなった私に原因があるかもしれません。彼はケンカや問題があった後には、必ず会って話をするくらい誠実な人でした。

ですが、5年目に突入してもなお、適度に会っていなければ仲の良さを確かめられない「距離」がある二人だった、ということでしょう。

その程度だった、というだけのことです。

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