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27年ぶりのタイムスリップ 中学卒業生の皆様へ

3月6日。安城市の中学校では卒業式がありました。
私は母校である東山中学校に来賓として出席。コロナ禍を乗り越えた卒業生の言葉に、この子たちなら、これからの社会の荒波を乗り越えていけると感じました。

私がメモした卒業生の言葉を引用させてください。
「コロナ禍の黙食など制限があったが、
 どうしたら楽しくなるかをみんなで工夫した。
 体育祭が始まったのは3年になった今年、
 これが普通なんだ、と感じることができた。
 そんな普通であることを知ることも、
 制限の中どう楽しくやれるかを考えることも
 貴重な学校生活となった。
 一人一人の個性があふれるからこそ
 まとまりがないこともあったけど、
 この3年間で失われていた学校の絆を、
 取り戻すことができたと実感した。」

私はこの言葉に、少なからず人生の本質の一欠片を見られた。
普通であることがいかに豊かなことかを知っていることが、今を生きる強みになる。今を真剣に行きたいと思わせてくれる。ありがたいと思わせてくれる。
コロナが明けて行事が始まって、真っ直ぐに自分の意見を言い合った教室の中での出来事を通して、「個性が溢れるからこそまとまりのない」と表現した感覚に、個々を認められる感性を感じた。そして、そんなまとまらない話し合いがあることさえも、絆に繋がっていくとまとめたこと、素晴らしい!
互いの個性を出して、自分と他者を知り、人と人は絆を深めていく。

こんなに若いのに、中学3年生の皆様は、なんて深い学びを得て、人と人が生きていく本質を知ったのだろう。すごいと思う。

卒業生の歌声の純粋さにも胸が熱くなった流れで、27年ぶりの校歌斉唱。私も思わず校歌を歌いながら、遠い昔の記憶が蘇っていった。そうだ、今日は、27年前に私が卒業して以来初めて、この体育館に来たことになるんだ!!突然そう思った!
27年前、私はこの子たちみたいに卒業式を迎えて、校庭で友達と記念写真を撮った。あの時の私を、今でもありありと思い出す。ここでは詳細に語れないけど、とにかく一つ言えることは、今の私は、あの日の自分がいつか辿り着きたかった私になれているのではないかな、ということ。それは、ステータスや外的なものではなくて、心の状態のこと。今の私の真っ直ぐさは、あの日と変わらないまま、私はあの日より、等身大の自信を持つことができている。なにより、「嬉しいとか嫌だとか、悲しいとか、怒ってる!とか」自分の気持ちを友達に言うことができるようになった!

あの頃と変わらない笑い方をしていたとしても、私の心は今、本気で笑ってる時のが多い。本音を語り合える友人達が何人もいる!夢も議論も、なんだって本音で語り合える友達たちに今私は恵まれているよ。だからあの日、無事に卒業した私を誇らしく思う。(つい最近、当時の恩師の1人と27年ぶりに電話で話をする機会があって。「私明るくなりましたよね?」と伝えると、「野場は昔から明るかったよ」と言われました。笑 記憶の明暗は、自分の心の状態が作っていく。だからこそ、心を大切にしたい。)

卒業生の皆様。
今の現状が全てではありません。
今の幸せを噛み締められる人は、更なる心の豊かさを目指して人生を楽しんでほしいです。そして、今に寂しさや虚しさがある人は、未来に希望しかないよ。そして、どんな辛い経験も、かならず、乗り越えられる。必ず、どこかに救いはある。私は目の前が八方塞がりの厳しい時期が何度もあったけど、そんな時はあえて5年先くらいの少し先の未来を想像してやり過ごしてきました。自分を信じて。自分ならできる。自分なら手に入れられる。自分の底力を信じて、愛を持って生き抜いてください。

私も、これからも生き抜きます!
自分を大切にしながら。
自分の心に従って。

素晴らしい式に出席させていただき、東山中学校の皆様、先生方、ありがとうございました!
卒業おめでとうございます🌼💐

どんな風の吹く日も
自分の本音を大切に。
輝かしい日々を歩んでください。

野場はなよ


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