見出し画像

孤独。寂しいし不安です。(公立保育園の人事異動)

私にとっては心からホッとできる、親代わりのような園長先生が異動されることになった。
私は昨日知って、もう今日が園最後になるとのこと。公立園の人事異動はあまりに忙しない発表で、子供たちも親たちも先生との別れがろくにできないし、みんなこんな期間で心の整理はつくのだろうか。涙

涙も流れるし、不安で、この一年のことがフラッシュバックして眠れない。

「お母さん大丈夫?」
「お母さん今日は元気になった顔してるね、安心したよ」
「お母さん頑張ってるよ。大丈夫だよ」

先生はいつも、親である私のことまで気にかけてくれた。誰にも甘えられない私にとって、年上の先生の存在はまるで親以上に私の親のような存在で、心を支えてもらってありがたかった。

一年前、私は子供2人と、3人だけで安城に引っ越してきた。

初めて保育園に入る当時3歳の次男は、年間1人レベル、60万人に1人の最重症アレルギー患者で、保育園に入れる前から、市役所と保育園で何度もアレルギー面談があって大変で。やっと入園が決まった公立園が今の園だった。

園長先生とは、入園が決まる前の面談と、決まってからの面談と、合計3時間近く徹底的にアレルギーの症状や投薬対応について話しあいを行った。入園が開始して程なくして私は選挙に当選して市議会議員になると、園長先生に「孤独な育児」をしていることを打ち明け始めた。

実家から1キロ以上離れた場所で子供2人と3人暮らしをしている事。親には悩みを相談できない関係である事。近くに実家があっても基本的には子どもをひとりでみていること。1人で子供たちを別々の保育園に送り届けて仕事をしていること。日々の仕事は人疲れする職種で、議員仲間にも市役所の職員にも町内会や同世代、市民の前でも気を張り詰めていて、素直なことを話せる友達もおらず、自分が孤独になっていくこと。どこにも、素でいられる場所がない事。

そんなことを、送り迎えのほんの少しの時間に、自分の心が壊れる前に先生に打ち明けていった。

いつしか園長先生は、顔を見るだけでホッとできる存在になっていった。
次男も先生にとてもよく懐いていて、「園長先生が世界で1番好きだよ。」と毎日のように私に笑って伝えてくれる。甘えられる先生がいることが、親にとっても安心できる材料になっていった。

あげたらキリがない。
この一年で、アレルギーのひどい息子は毎日職員室でお弁当を食べていたし、園長先生と担任の先生と、主任と看護師先生の4人が次男のアレルギー症状のこともよくな理解してくれていて、顔に湿疹が出はじめるたびに電話を私にかけては薬を飲ませてくれた。

一年たって、やっと安心できる場所になっていった保育園。先生方も私の子供の体質に慣れ始めた、まだまだたった一年が過ぎようとする今日。
まさか園長先生も、担任の先生も、2人ともがこの園を去ってしまう人事を安城市は下した。

正直、ほんとに、アレルギー児を取り巻く環境、孤独な親を取り巻く環境への配慮はどこにもない。最重症アレルギー患者がいる園だということ、おそらく担当課はすでに意識の外だと思う。次男の症状を知る4人中2人がこのタイミングで異動。不安が押し寄せて眠れない。親は絶望感です。

うまく言葉になりませんし、今日は、本当に、1人の母親として、さまざまな当事者としてのリアルな日常と感情をあえて書きました。

孤独です。
寂しいです。
先生、私のせいなのかな、この人事。
ごめんなさい。
いろんなことを深読みし過ぎて疲れてしまいます。
以前市役所でこんなことを言われました。
「議員の情報は、みんな知ってるよ。
 それを把握しておくことも職員の仕事だから」

議員になった私にはプライバシーはないんだと自覚した秋のあの日。どれだけ私の心は疲弊して追い詰められたことでしょうか。

うまく言葉にならない。今日は。

眠れないな。
怖いし、辛いし、涙が止まらない。
泣いてもいい安心できる人がいなくなってしまうこと、孤独な育児をしている親にとってどれほど疲弊することなのか。
自分のダメさをさらけ出せる場所が、私にとって保育園の先生方だけだったんだけどな。

心の整理がつきません。
議員という立場のこと、今はみなさん忘れてください。
私は、この疲弊する孤独な育児と、ひどい食物アレルギー児を育てる当事者として、素直な思いを、今日は吐露したかったのですから。

今日くらいは許して欲しいです。

野場はなよ


次男と別の保育園に通う長男。先週は卒園式。
この一年で関係を築いた先生方との別れが続いた。
誰にとっても別れのある年度変わりはきつい季節ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?