範宙遊泳『うまれてないからまだしねない』Actors' Profiles No.07 大橋一輝


 最新作『うまれてないからまだしねない』(2014年4月19日〜27日 東京芸術劇場シアターイースト)に出演する10人の俳優たち全員に、ひとりひとり、話を聞いていくインタビューシリーズ。

インタビュー&構成=藤原ちから&落 雅季子(BricolaQ)

(範宙遊泳 TPAM in Yokohama 2014 「幼女X」より 

撮影:amemiya yukitaka)


大橋一輝 Kazuki Ohashi

1987年生まれ。岐阜県出身。2009年より範宙遊泳に所属。

2009年にさいたまネクストシアター入団、2012年退団。2008年にオーストラリア国立演劇大学NIDAに短期留学。

主な外部出演作に、Bunkamura「血は立ったまま眠っている」さいたまネクストシアター「美しきものの伝説」「2012年蒼白の少年少女による「ハムレット」」(演出:蜷川幸雄)、カトリ企画「文化系体育会」(作:上野友之/演出:杉原邦生)、青蛾館「毛皮のマリー」(作:寺山修司/演出:森崎偏陸)などがある。

2011年より日本舞踊藤間流・藤間貴雅に師事。日本舞踊の出演作に「第四回貴雅の会」などがある。


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 範宙遊泳の劇団員、大橋一輝。かつては蜷川幸雄が主宰するさいたまネクスト・シアターに所属して活躍していたが、「二足のわらじ」を脱ぎ捨て、範宙遊泳に帰ってきた。そこには大きな葛藤があったのだろう。「暗黒だった」と振り返る時期を抜けて、新生・範宙遊泳の中で、大橋はどのような思いで舞台に立っているのか。


▼範宙遊泳とさいたまネクスト・シアター

「よろしくお願いします!」

——大橋さんで7人目。ラッキーナンバーですね。

「やったー! いいことあるかも(笑)。でもずっとされてて疲れません?」

——疲れとかではなく、変なテンションにだんだんなってきましたね。この場にじわじわ溜まってくものを、何か、感じます……。さて、大橋さんは範宙遊泳の劇団員ですけども、そもそもの関わりは?

「最初の話をすると、第1回の公演のオファーをスグルから受けてまして、それを断ってるんですね。授業の発表かなんかで僕の演技を観てくれたスグルが「一緒にやろうよ」って言ってくれたんですけど。OPAP(桜美林パフォーミングアーツプログラム)と時期がかぶってたので、観にも行けず。第2回公演は観ました。で、第3回公演の時に、僕のほうから「出させて」って言ったんですね。『美少女Hの人気』(2008年)。それが初めてです。当時からスグルは才気溢れる感じでしたね。学内でも先輩たちが「山本卓ってやつがいるらしいぞ」って話題になってました」

——それ以降は?

「大学3年の冬に蜷川幸雄さんのさいたまネクスト・シアターに受かりまして。『山梨』(2010年)はほんとは出ることになっていたんですけど、蜷川さんの本公演に出ることになってスグルに相談したんです。そしたらあいつ、行ってこいよって、背中押してくれたんですよ。それで蜷川さんの『血は立ったまま眠っている』(2010年)に出させてもらって、一年間の約束で、範宙遊泳を休団しました。そのあいだに範宙は『ラクダ』『東京アメリカ』『労働です』をやってて、僕は『うさ子のいえ』(2011年)から戻りました……」

——(藤原)ネクスト・シアターの稽古場で一度、お会いしましたよね。『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』の時に。

「そうですね。ネクストを辞めるちょっと前でした。開かれた稽古場なので、見学者も大歓迎なんですよ」

——(藤原)あの後、別の場所でお会いした時は、どっちに行くか揺れていましたよね。

「揺れた時期ではありますね」

——結果的に、範宙遊泳を選んだことになりますね。

「はい、自分で選択しました。山本卓卓と舞台をつくろうと決めました。そこにはたくさんの葛藤がありました。でも決めたからにはもう振り返りませんでしたね。そして『うさ子のいえ』から復帰しました。蜷川さんのもとで経験したこと、頂いたものは、僕の今の演劇人生の財産になっていますね」

——うん。

「今でも蜷川さんのことは夢に出てきますもん(笑)。でも、すごい、ほんとに濃密で強烈な時間でした」


▼暗黒期の葛藤

——範宙遊泳に帰ってきてからは?

「……今日は僕、嘘つかずに話したいなと思ってたんで、正直に話しますね。範宙に戻って、つい最近までと言ってもいいんですけど、少なくとも「東京福袋」(2012年)に出たくらいまでの間、結構、暗黒でしたね」

——暗黒?

「暗黒というのは……やっぱりギャップがあるじゃないですか、さいたまネクストシアターの創作と範宙遊泳とでは。今までとがらりと雰囲気も変わるし、稽古場の環境も違うし……。生活がガラリと変わった時に、その時に僕、サボっちゃったんですね。これぐらいでいいやって感じで……。で、稽古場でもスグルとぶつかったりとかして、僕の中にもいろいろ葛藤があって」

——サボったとおっしゃったけど、それは大橋さんの基準が厳しいのかもしれなくて、傍目には真摯にも思えましたよ。むしろ暗黒期でよく続けられたなと。

「僕、ハートだけは強いんで(笑)。蜷川さんのところで鍛えられてきたものがあるから、よっぽどでないと折れないし、自分なりになんとかするという気持ちは持ち合わせてるんですけど」

——演劇を続けること自体に対する迷いにはならなかった?

「なりましたね。ネガティブな気持ちに支配されちゃって、そっちの(辞める)方に頭が行く時もあって。正直今もですけど、常にギリギリでやってる感じはしてます。でも深いところではやっぱり、演劇好きなんだと思います。じゃないとやってない」

——そうですね。

「それに今回みたいな作品に出会えたし。すごく……今回、いいっすよ(ニヤリ)」

——おお!

「でもほんとつらかったっすね。熊川が客演でいない時は、サチローちゃんと俺とスグルでガーッとやって。お互いがお互い、みんな「途中の人」なので」

——ああ、未完の人という……。その劇団員だけでやっていた時期はまた特殊ですよね?

「『東京アメリカ』でスグルは注目されたところがあって、『うさ子のいえ』まではそのスタイルだったんですけど、『範宙遊泳の宇宙冒険記3D』(2011年)からは劇団員だけでギュッとできたこともあってまた違いましたね。この頃スグルは「少人数でやりたい」って言ってました。「東京福袋」(『男と女とそれをみるもの(X?)の遊びと退屈とリアルタイム! 暴力!暴力!暴力!』)も熊川と俺だけだったし。ここで初めてプロジェクターと文字を使ったのかな」

——あの時がやっぱりターニングポイントだった?

「範宙としてはあれがターニングポイントだったと思います。今のスタイルを作りはじめた。ひややかな、ヒリヒリするような……わけわかんなかったですね。新鮮で衝撃だったし。でも僕個人は依然、暗黒期だった気がして。全然うまくできなかった」


▼「世直しの人」として

——その後、名古屋で『おなか、それよりも前』をやって、さらに『幼女X』初演。このあたりから、大橋さんは「死に向かって一直線」というキャラクターになっていった?

「いやもうほんと、顔が変わってきました(笑)。役に支配されちゃう……。でもたぶん、スグルはそういう役を描きたかったんだと思います。現代の若者に、共感、ではないけど、心に何か引っかかるものがあったんでしょうね」

——『幼女X』はエポックメイキングな作品だと思いますけど、やってみてどうでした?

「ヤバかったですよねえ……創作はやっぱり苦しかったですね。この頃から稽古で散歩するようになったんですよ。スグルやサチロー君とバトミントンとかバレーボールやったり(笑)、お互いの写真撮ったりとか……。で、後で撮ってきた写真をプロジェクターに映して話をしたり」

——やっぱり劇団員だけでやった時期が大きかったんですかね。

「大きかったと思いますよ。まあ僕ら身内ですから、本公演がなくても定期的に集まって稽古してましたしね。プロジェクター買った頃に、グーグルマップで世界の旅、みたいなこともやりました。お互いの地元の映像とか見て、本当にそこにいるような感覚になったこともあった。それまでの範宙遊泳って独特のアングラの香りのするようなのが多かったけど、その頃からネットとかケータイが登場して、もう少しライトに、ヴィヴィッドになったと思います」

——『幼女X』はTPAM(舞台芸術ミーティングin横浜)でショーイングされて、マレーシア公演も決まりましたね。海外公演は初めて?

「初めてです。海外での仕事は初めてなので、体調崩さないように、マレーシアの事情に詳しい人に衛生面のこととか訊いたりしてますけど、全然知らない土地でやるんだっていう感慨はありますし、呼んでくださることもすごく嬉しいです。でも、行くような気がしてたんですよね。「この作品で海外行きそうだな」ってうっすら思ってたんで。嬉しいですね。向こうの同年代の人と交流できたら嬉しいな。お互いの話が出来るのは楽しみだったりします。僕も英語を勉強してます」

——で、その『幼女X』初演あたりから、暗黒期は抜けたんでしょうか?

「前の段階よりは全然抜けてきました」

——すこーんと抜けた! ってことは?

「それはまだないですね(笑)」

——そうですか。続く『さよなら日本』では謎の教祖というか、だんだん熱くなって狂っていく変な役でしたよね。

「僕はネットとかIT関係に疎いほうなので……」

——へえー、機械音痴的な?

「だからネット見ましたもん。スグルに「動画見て」って言われて、それを参考に。まあ迷走しました。迷走したり瞑想したり(笑)」

——そして、今作の『うまれてないからまだしねない』はどんな役を?

「僕はいろんな顔を持ってる役です。消防隊員の役で、アパートに(福原)冠ちゃんを住まわせていて、面倒見のいいやつですね。わりと真っ当……に見えたんですけど、消防隊員っていうのは世を忍ぶ仮の姿で……まあ、仮面ライダーみたいなものです」

——仮面ライダー?(笑)そういえば『幼女X』も『さよなら日本』も「世直しの人」でしたよね。

「ああ、そうですね、一貫してるのは、世直し。もし僕を見てスグルがそう書いてくれてるのなら嬉しいですけどね」

——や、たぶんそうでしょう(笑)。


▼新しい俳優像へ向けて

——そして、暗黒期を抜けるかどうか、という話なんですけど……

「久しぶりに僕、燃えてます。こういう大きな舞台になると責任も出てくるので。稽古場にも早く入れるから、サチローちゃんに「早く来てよ」って頼んで「やるんだよ!やったらやった分だけ良くなるから!」って。そういう環境があると僕は生き生きしてくるんですよね」

——燃えている!

「最近は、いつも一回一回をこれが最後という気持ちでやろうと思うようになりました。近しい人が亡くなったりして、今もこういう芝居やってて生と死のことを考えたりとか……。正直ほんとに辞めようと思ったこともあるんですけど、だけどやっぱりまた、こういう作品に出会えて今燃えてる自分がいるのは、何かちょっと巡ってきたなと思いますね。思い詰めるでもなく、ポジティブに自然に……。今回の台本も久しぶりに心震えて、ワクワクしたんですよね」

——自主稽古もされるんですね。

「やっぱり演劇に対しては誠実でありたいなし、時間をかけられるだけかけたい。じゃないと、演劇に嫌われそうだから……」

——なるほど……

「日舞の先生が「自分が生きてること、感じてることが全部出るから、人に優しく、私生活から整えなさい」っていう人なんですね。話す時に相手の顔をちゃんと見るとか、「お母さん」と言わずに「母」と言いなさいとか、「なるほど」って相槌を打っちゃいけませんとか」

——な……(るほど)

「もういい歳に、26歳になったから、中途半端なビジョンでやっていたら全然いいことないと思ったんです。ある時気づいたのは、人に言われてやるようなことはやらなくてもいいかもしれないってことで、自分の感覚をもっと大事にした方がいいんじゃないかと。世の中にある「俳優はこうあるべき」とか、そういうのは別にいいのではないかと。たぶんこれからも俳優やると思いますし、自分なりの俳優像を発見して、新しいスタイルでやっていきたいなと思ってます。山本卓卓って人を間近に見ててもそう思うし、俺はやっぱり自分の哲学と思想を持って生きていきたい」

——新しい俳優像。

「ただ僕、どちらかと言うと引っ込み思案で閉じこもる方なので、もっともっと、いろんなところに足を運びたいなとは思いますね。いろんな人に出会って、刺激を受けて、最終的に自分がこれをやりたい、これに俺は燃えたい、時間を費やしたい、ってところにクッと行きたい。例えば、もしかしたらこれが終わったら休むのかもしれない。新しいものを求めて行くのかもしれない。でも範宙はやっていくと思うんです。1年に1回はこういう大きい舞台があるだろうし。僕もやっぱり、ちゃんと食えるようになりたいんで。ちゃんと結婚して子供を親に見せて。このあいだお葬式でも思ったんですけど、家庭を持って親に恩返ししたいなと思ったんですね。そういう中で俳優ってこととどう付き合っていくかを考えています。まあ、僕もまだごちゃごちゃしてるんですけど(笑)」

——ありがとうございます。最後に、『うまれてないからまだしねない』の見所を聞かせていただけますか。

「冒頭……ですかね。立ち上がり5分を観ていただきたいです。今回は特にワクワクするし、独特の緊張感がある。誰もいない空間からどんなふうに人が現れて、何が語られて、どんな空気が立ち現れていくのか。何が始まるんだろう? って、客席で観てたら思いますね、きっと」

——遅刻はしちゃいけませんね。

「そうですね(笑)。立ち上がりはぜひ観ていただきたいです」


(範宙遊泳「さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-」より

撮影:amemiya yukitaka)


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次回は椎橋綾那です。お楽しみに。






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