妄想11 AIロボットとよみがえり

人それぞれの考え、価値観などによって答えは様々、答えのないことはたくさんあるけど自分自身の中で答えが出ない、どちらでも当てはまることという物事もたくさんあるなとふと、思います。

最近見たSF作品でAIロボット(二足歩行型)が壊れてしまい動かなくなってしまうが、コアとなる部分が無事だったため別のロボットに移植して再会するという内容でした。
似たようなシチュエーションってSF作品などによくありますが、そのシチュエーションを見るたびに中身は同じだけど外身は別で再会する事に対して素直に喜ぶ気持ちと喜べない気持ちが混在します。

素直に喜ぶ気持ちは新しいAIロボットに過去の記憶そのまま移植され復活してくれたことに対して単純に嬉しい気持ち。

素直に喜べない気持ちは仮に量産型のAIロボットで壊れたロボットと同じタイプに過去の記憶を移植されても全く同じ個体ではないから別ものだと思ってしまうから素直に喜べない気持ち。

家電だと同じ商品が新品の状態で戻ってくるのは嬉しいけど、愛着のある物や思い出がある物は汚れていようが、多少傷がついていようが手元に置いておきたい派なので、多分AIロボットも同様の気持ちだから嬉しい、嬉しくない半々の気持ちになっている思います。
やっぱり、愛着のある物って汚れや傷も一緒に行動した証、思い出だから中身だけ同じだと少しよそよそしい感覚になる気がします。

後はAIロボットを物としてとらえるか、感情移入をどこまで入れるかにもよるような気がします。
AIロボットを友達、仲間、ペットと同じ様に接していたら恐らく愛着がわくから、量産型で同じAIロボットがたくさんいる場所でも自分が所有しているAIロボットは見つけられる可能性もあるような気がします。
傘立てに似たようなビニール傘が複数立っていても自分が使っているビニール傘の判別が出来るタイプなので多分見わけられる気がする。

こうやって改めて考えを文章にすると、新しいロボットにコアを移植する事に対して素直に喜べない気持ちの方が大きい気がしますが、どうしても外身の修復が出来ない状況だったら新しいロボットに移植して再会できるのは嬉しいような気もします。
…でも、新しいのはなー…と無限ループ。

じゃあ、AIロボットではなく亡くなった人が生前の記憶を持ったまま生まれ変わって再会するという状況はどうだろうか…
量産型ではない人間はドッペルゲンガーじゃない限り全く同じ外見をした人はいないため、生前の記憶を持った生まれ変わりに再開しても、どうしても「初めまして」の感じがぬぐえないし別人としか思えない気がします。
生前の記憶もある、しぐさや話し方、行動、思考といったこと全て同じだとしても外見は全く違うとなるとうまく受け入れられないような気もします。
多分、別人として生前の人物とは別の新たな関係を築くか、一度は再会してもそれっきりになるかもしれない。
多分、生まれ変わりだけじゃなく、AIロボットに亡くなった人の記憶、行動パターンなど全て移植されても同様の気持ちになる気がします。


そう考えると人って中身と外身セットで「その人」って認識しているんだなーと別のところに話が着地してしまったけどそれはそれでまあいっかと思ったり。…そうやって横にどんどん考えが伸びていくから答え、結論が出ない原因かもしれない。

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