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大人になるということ

久々の更新です。

最近は何かと書くエネルギーが湧いてこなくて、、、書きたいことはあるのだけれども、、、という言い訳です。

さて、皆さんは2020東京五輪のチケット当選しましたでしょうか?私は1つも当選しませんでした、、、まだ入手するチャンスはあるみたいなので、諦めずに今後も五輪組織委からのメールを待ちたいと思います。

今回のテーマは「大人」。

昔、サッカーを観ていてPKやFKのときにボールを選手同士で奪いあったり、俺に蹴らせろと口論してたり、そんな姿を外国人選手がしていることはあっても日本人選手がしていることがなかった。

疑問に思っていたら、外国人と比べて日本人はあまり自己主張しないから!みたいなことをヨーロッパサッカーを経験したことのある日本人選手が言っていたことがあったような気がする。

ハンドボールでは、PTのときにそういう姿は見たことないけど、ヨーロッパではあったりするのかな?あったらあったで面白いかも!と思っていたところです。

そんなことから、大人になるって何なんだろう?と、ふと考えてました。

以前、プロハンドボール選手の銘苅氏に合宿していただいたとき、銘苅氏がこんなことを言っていた。

集団に埋もれるくらいなら、集団を突き抜けるような個になってほしい。

個人的には、自己主張をしないということがどこか美とされている、正義とされている、大人とされている、そんな風潮が日本にはあると思う。

集団の中で自分を出して嫌われるくらいなら当たり障りなくしていた方が得策だ、となる。

私も経験がある。自分はこう思う、こういう人間です、こんなこと考えてます、などと主張した。それは周りの大多数が、ん?と思うようなことだとわかっていたけど、あえて言うときがある。

そのときに言われた一言が、もういい大人なんだから自分を出すなよ!というものだった笑

集団の中に埋もれることが正しいとされる風潮は、こういうところでもあるんだなと実感した瞬間だった。

少なくとも、そんなことで自分への評価が揺らいだりするものではないと思っているから、あまり気にしてないのだが。

大人になるってそういうことなのかな?

たしかに協調性は必要なのだけれども、全てが全てではない。それを繰り返していくと、どんどん集団に埋もれていってしまう。

だから、僕はこういう人間です!と自信を持って言うことのできる、何処に行っても恥じることなく堂々とできる人間性を養わなければならないと思う。

写真は私が指導する学校のハンドボール部のアウトコート。この状況、ひどいですよね。

直してほしい、、、切実に。

学校施設は子どもの安全を確保できないとダメなんですよ。ハンドボール部の位置付けが低いのか、学校側の問題なのか、詳しくは追求しませんが、安全に部活をできる範疇は超えているような気がします、、、

雨水がなかなかはけないだけでなく、コートにはコンクリートが剥き出しになっています。野球部グラウンドとの高いネットはボロボロでボールが抜けていきます。コートは平らではなく、ガタガタです。

こういうところに気付かないのが学校の現場?なのでしょうか、、、そこまで教職員の皆さんは部活動に無関心なのかと思ってしまいます。



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