「信じる」ということ

僕はあまり人に信じてもらいたいと思いません。いや「信じている」と言われるのが嫌と言った方が良いかもしれません。信じなくていいから確認して欲しいなって思います。

「信じる」ということは別の言葉で言い換えると「よくわからない」ということです。

世の中にはたくさん宗教があります。そのほとんどが操作されています。キリストや釈迦の考えがそのまま継承されて伝えられたわけではない。宗教によってはインチキもあります。仏教は科学として捉える見方もあって、実際にそう思える部分も多いですが、いずれにせよ「信じる」あるいは「信じさせる」ことを旨とするものはどこかいかがわしさがあるものです。

この数字は何かわかりますか?(数字のコピペミスがあるかもしれません)

1,427,247,692,705,959,881,058,285,969,449,495,136,382,746,624

現天皇陛下は125代の天皇です。(日本神話が正しいとして)

この数字が正しいかどうかはここでは話題にしません。125代という数字を使いたかったので例として挙げただけです。

あなたが産まれるためには2人の親が必要です。その2人の親が未婚かどうかは関係ありません。絶対に2人の親(男女)がいるはずです。あなたが命を授かるには2人の命が必要だったことになります。その2人の命も、それぞれに2人の命が必要だったはずです。ここまでであなたを除いて6人の命が必要だったことになります。そうやって124代前(125代からあなたを除いたもの)まで遡って足し算すると命の数は膨大な数です。この数が上の数字です。よくわからないことではないですよね?上の数字を確信できますよね?

日本には仏教徒が多いですが、実質的には神道が日本人の精神の基本になっています。神道は祭祀と呼ばれるもので宗教とは少し違います。祭祀は大きく分けると自然祭祀と祖先祭祀の2つがあります。自然祭祀は人間は自然の中で生かされているということを直感するところから始まります。親は子を慈しみ子は親を慕う。この関係性を直感するところから始まるのが祖先祭祀です。

もう一度上の数字を見てください。

膨大な数の人が我が子が元気で健やかに育って欲しいと願って生きてきました。そういう人たちの数です。その中の一人が欠けるだけであなたの命はありません。そう考えるとありえないほどの確立であなたが存在していることになります。この「ありえない」は「有り難い」ですから、ご先祖様に感謝しますという気持ちが自然に出てくる。これが祖先祭祀ですね。

ほとんどの民族が元々は祭祀の民です。それが生命の道理だからです。これは科学と言っても良いです。宗教が出てきてそれが忘れられていますが、「信じる」ことを必要とするために宗教は科学にはならない。

親は子が元気で立派な大人になって欲しいと願って子を可愛がります。だから元気で立派な大人になることを考えて生きれば、きっと上に書いた人数のご先祖様も喜ぶでしょう。「信じる」「誓う」「願う」必要なんてまったくありません。形式も不要です。ただひたすら自分の命を使って精一杯生きる。自分ができることを精一杯。それだけです。

反対に自暴自棄になったり、卑下したり僻んだりしたり。自分にとって為にならないことをすれば、きっとご先祖様は悲しむでしょう。

精一杯楽しく生きましょう。

生きてるって素晴らしいと思いませんか?

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