職人と芸術家

職人と芸術家
芸術という言葉は明治時代に入ってから出来た言葉ですね。西周あたりが作った訳語でしょうか。

言葉がなかったのだから概念もなかった。日本には芸術という概念がなかった。

刀が美術品になり仏像も美術だと言われることがあります。洋魂和裁といった趣きがあります。知らず知らずのうちに思考が西洋化してるのかもしれませんね。

目的を伴った行為が行動です。目的が違えば同じ行為でも別の行動だということになる。ところがこの違う行動がごちゃごちゃになって認識されることが少なくない。

職人と芸術家は目的が違うので、鑿で木を削る行為が同じでも別の行動です。伝統工芸士が芸術家のように評価され、また芸術家のように振る舞う姿を見ることがありますが、奇妙な感じがします。

職人は実用的なモノを手速く作ることを重視します。生業ですから時間がかかると値段が高くなるので実用される機会が減り売れません。最高の技術を使って短時間で良いモノを作ることが目的だということになる。

芸術家は自分の表現を追い求めて納得できるまで手を入れます。手速く作ることの優先順位は低い。元々貴族の楽しみとして発展したものですから、暇と金がかかるのは悪いことではない。

江戸時代や明治時代の初期に日本にやってきた西洋人が日本人の日用品が芸術品のようだと驚いたと言いますが、職人が手仕事で作った日用品の完成度が非常に高かったということだと思います。

現代は西洋の文化と概念が溢れ、工業化の末の経済発展と社会の変化のおかげで余暇や余裕の多い暮らしになったので、貴族の楽しみも庶民の楽しみになってきました。芸術に親しむことが特別なことではない感じになりました。

現代社会の暮らしの豊かさは、豊かな自然と農本主義的な労働観と職人によるモノづくりの伝統の上に築かれたものです。新幹線、自動車、家電製品もそういう蓄積があって世界的に高い評価を得られるようになった。そういう基盤があっての余暇や余裕です。
子供の頃に絵を描くのが好きで時間があれば絵を描いていましたが、そんなときに祖母によく言われました。手に職をつけないとダメだって。芸を身につけるより職だって。遊んでる暇があったら手に職をつけろって。あの世に行くときは今使っている道具を全部持って行って祖母の煙草盆、姉の裁縫箱、兄のギターを作ろうと思います。ダメ出しされないように精進しなければ!

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