子供は大人の都合で育たない

現代の教育は教える側の都合が重視されています。一定の年齢になったら進級とか卒業みたいなのはその例です。

人は本来みんな違う。覚えるのが速い子も遅い子もいる。向き不向きだってある。

個性を尊重するなんて綺麗事を言ってるけど、実際はまったくそうなってないですね。

じゃあ、バラバラに進級卒業するようにしたらどうなるか?
学校は大変でしょうね。場合によっては設備が足りなくなることもあるかもしれない。

それでも個性を伸ばすなら、多様性を保ちたいなら、思い切って現行の学校制度を変えるべきだと思います。

参考になるのは昔の徒弟制度です。
中学生くらいの子を親方が預かる。生活を共にしながら、やって見せるを繰り返す。目の前に目標となる人がいるわけです。親方は弟子が一人前になるまで面倒をみます。本人が辞めると言わない限り、一人前にする責任を全うする。
それを応用したらいいと思うんです。

そうなると教員資格も見直さないのいけないですね。学問で優秀でも何もできない人は教師にはなれない。

速く学び取った子には、学びの遅い子の面倒をみさせる。教えることも学びにつながるから。

そうやればバラバラの進捗度の子供たちに大勢の先生が必要だなんていうことにはならない。

教える側の役目は「教えない」ことと「将来の道を作る」こと。教えないで手本を見せるだけ。自分で考えてやってみろと指導する。読み書き算盤みたいな基礎体力は教えないといけないけど、それはトレーニングだから一様にやればよい。考える間も無くやればよい。
「この勉強をしたら将来こうやって暮らせる」という確信がないといけないから、大人は将来子供達が大人になったときの活躍の場を作る。それができれば、子供ができるようになるまで待ってやれます。

厳しく優しく強く逞しい。そんな大人が増えれば教育は上手くいきます。

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