平然と行われる「利き手差別」



Aは左手でライターを点けた。
Bは車の鍵を左のポケットに入れていた。
Cは携帯電話を左耳に当てていた。
Dは左手に腕時計の痕が無い
Eは眼鏡を左手で外した
Fはカップの持ち手を左側にして置いていた
Gはペットボトルのキャップを左手で開けた




こんな感じの文章を、刑事ドラマや名探偵コ〇ン、金〇一少年で、一度くらいは目にしたことがあるのでは。
そしてこの文章の後には大方こう続くんです。

犯人は左利き―――――――――――――――




いや、おかしすぎません??????

そもそも利き手って、そんなに生活に浸透するものなんですか?

今のは漫画の台詞と分かっているので、同じ表現者としてあえて目を瞑る事にします。腹は立ちますけど。
しかし信じられない事にこのタイプの主張、実生活でも耳にするんですよ。

「改札の投入口が右側にしかないのは左利きの人が不便」
「自販機のお金の投入口が右側にしかないのは左利きの人が不便」
「冷蔵庫・電子レンジが左開きなのは左利きの人が不便」

そしてこの文章に続く言葉が

左利きに生き辛い世の中――――――――――

一体左利きを何だと思ってるんですか?

私は生まれてから20と少し、箸と鉛筆が左手な以外は殆ど右で生活してきました。はさみ、包丁、リモコン、カメラ…。よく当たると言われる腕組も右利きと同じ、時計も左に着けていました。
中学時代のテニス部も右利き、当然周りの人よりは劣るものの書道も右で不自由無くやってました。

どうしてかと言われれば

最初に持った手がそうだったから、です。
違和感を感じた事なんて殆どありません。
もしかしたら無意識の内に回りの人を見て「これは右で持つもの」「これはそう持つもの」と思い込んでいたからかもしれません。
でも世間一般の人が思う「真の左利き」は、ここで違和感を感じて左に持ち替えるはずなんですよね。そうでしょう?

確かにピンセットとかペンチとか、たまにやり難さを感じて左に持ち替えたりすることはありますし、それは僕が基本左利きだからなんでしょう。
でもそれは「器用な方の手」という感覚でしか無いんです。
冷蔵庫を開けるのに、器用さなんて要ります?
Suicaなんて、右手で持って通りゃいいだけじゃないですか。

その他カッター、ライター、電話に至っては両手。財布、ペットボトルも左右どちらでも。鍵は正直誰しもが近い方の手で取りません??あ、吊革も左右どちらも使いますね。
結局左利きだからって必ずしも電子レンジが上手く開けられない、冷蔵庫が上手く開けられない、改札が通り辛いなんてことは無いんですよ。

あの、利き手の強制力って、いつまで信じ続けられるんですか?
この文明と科学の世の中であまりに非科学的で古典的な偏見を現代まで語り継ぎ、左利きをまるで障害者の如くマイノリティに祀り上げる、これって、差別以外の何なんですか?

利き手差別って、本当にいつまで続くんですか?

もしかして右利きの方って、本当に全ての物を右手で持っているんですか?

それとも僕が知らないだけで、実は左利きの大半はありえないくらい右腕が不自由な人なんですか????

世の中が右利きを基準に設計されている事は否定しませんが、それが左利きの人間が抱える最重要の問題だとは思いません。
「利き手デザイン」の無差別化を主張して頂くのは結構ですが、それよりもまず「左利きの人は扉を左手で開ける」みたいな根本的なのを何とかしては頂けませんか。
そしていつか、コ〇ンはじめ様々な推理物が垂れ流している無数のヘイトに消費者が気付き、問題として取り上げられる日が来る事を切に願います。




余談




「横書きの文書の文字が掠れているから書いた人物は左利き」←これはある

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