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#16 個々人の権利と強者の特権

 前のエントリで婚姻制度の話を例に、マジョリティとマイノリティの関係は固定的ではないということを書いた。今回もその話をもう少し続けてみたい。

 「病人と健常者」という軸で見れば私はマジョリティだけれど、男女という軸で見ればアルさんはマジョリティになる。彼は外出時に体力的・体調的な心配があるし、それなりに備えていかなければならないが、「わざとぶつかる人」に出会うこともないし痴漢に遭う心配もしなくていいし身体的な脅威を警戒する必要がない。
 私は健常者なので体力的なことや移動そのものについては問題がないけれど、公共交通機関で痴漢に遭ったり、男性から嫌がらせにあったり、職場でセクハラを受けたりすることはある。
 私とアルさんのどちらがマジョリティか、という問いには意味がない。どんな局面でどうマジョリティたり得るか、そのときに自分がとるべき行動はなにか、まだまだ手探りなところもあるけれど、過去のひとびとの努力によって獲得された「権利」とマイノリティ集団からの搾取をベースにした「特権」をきちんと分けて考えた方が、それぞれに応じた最善策が見つかるように思っている。

 「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」「家事をやれというなら俺と同じだけ稼いでから言え」などと恥ずかしげもなく言う夫がこの世に存在できるのはなぜか。女性というマイノリティが就職差別され、賃金などの待遇面でも差別され、「家事や他人の世話が上手」という勝手なジェンダーロールを押しつけられて搾取されることが社会の前提になっているからだと思う。
 この差別の解消のためには、賃労働と家事労働で優劣をつける習慣をやめなければならないし、賃労働における賃金の多寡は必ずしも労力の多寡に比例しないことにも留意し、ここに現われている差別も是正しなければならないと思う。(具体例を挙げると、介護や看護、保育の分野は高度な技術や知識、そして腕力的な意味での労力も求められるにもかかわらず、「女の仕事」と見なされてきたために低賃金になっているという明らかな女性差別がある)

 男性の多くは女性が差別されていることで、より大きな力を手に入れて、その特権を傘に札束で女性を引っ叩いているのだが、この不公平を是正することで女性は男性に経済的にも精神的にも拘束されにくくなる。つまり、女性というマイノリティの権利を認めることが男性というマジョリティにとっての「普通」を取り上げる結果につながるのだ。その「普通」こそが、差別を前提に担保された特権なのだけれど、多くの男性はそれに気づかない。

 彼らは、好きで男性に生まれたわけではないし、「女を差別して搾取して得してやるぞ」と思っているわけでもなく、女性差別的にできている社会に適応して生活しているだけなのだけれど、社会構造が差別を含むのだから、それに抗わずにいることは差別に消極的に加担していることになる。そして、知らず知らずのうちに女性蔑視を吸収して再生産してしまう。

 こうした指摘に多くの男性たちは困惑する。
 しかし、女性はいつでもそこここに存在していて、目に入っていて、女性と一切関わらないで生活をするというのも難しい。本当は自分が女性をどこかで馬鹿にしていること、見下していること、男性ほどには敬意を持って接しなくて良い存在だと見なしていることに、薄々気づいているひともいるはずだと思う。
 無意識のうちに「男脳/女脳の違いがあるから」「女は妊娠・出産するから」「女は感情的だから」いろいろと理由をつけて、差別を正当化してはいないだろうか。というのも、この差別が解消された場合、男性は特権を返上しなければならないから。

 女性は人数は多いが、社会的な決定権を握っているのは圧倒的に男性であり、その男性たちは簡単には特権を手放してくれない。それでも、かつては当たり前だった奴隷制は廃止になったし、植民地を持って搾取することも批判されるようになった。女性の参政権にしても、諦めずに訴え続けた女性たちによってマジョリティ側が動いて初めて獲得されたものだ。
 誰にも他者を搾取する権利などない。特権を手放すことになるマジョリティの側が変われば、社会全体でより多くのものをシェアできるはずなのだと思いたい。

to be continued...


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