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#6 喧嘩をするほど仲が良い?

 結婚以来、夫婦ゲンカを一度もしてない、というひとたちもいるのかもしれないけれど、家事育児の分担であったり、そもそも夫が家事どころか自分の脱いだ服を洗濯カゴに入れる程度のことさえしない、みたいな日々の生活ストレスみたいなものであったり、妻の方から発せられる結婚生活における「一緒に住んでみて分かった」系の愚痴を目にする機会は少なくない。それがキッカケで喧嘩になると話してくれた知人もいる。しかし、それでも結婚生活を続けているので、本当に結婚の内実とは様々なものですね。

 さて、私とアルさんの場合、その喧嘩の大半は、予定していたことが予定していた通りにできないときに勃発する。予定というのは外出の場合もあれば、一緒にお昼ご飯を作って食べる、みたいなごくごく些細な日常的なことの場合もある。それができない理由はアルさんの体調不良で、喧嘩になってしまうキッカケは私が露骨にガッカリした態度をとったり不満をこぼしたりすることだ。

 体調が悪いのはアルさんのせいではないし、体調が悪いのだから仕方がない。それはよく分かっているけれど、楽しみにしていたことができなくてガッカリしてしまうのも人間だ。ただ、こちらにその意図がなくとも、ガッカリした態度をとってしまうと、病気の相手には「自分のせいでガッカリさせてしまった」という罪悪感を与えてしまうことになる。あるいは「無理してでも予定通りに行動してほしい」と言われていると感じさせていると言ってもいいのかもしれない。これは発言者の意図とは全く関係なく、その発言そのものがそういう機能を持ってしまう。(ちなみに出かける予定などは私が一方的に立てているわけでもなく、「〜しようか?」「〜に行こうか?」とアルさんが提案している場合もあるので、そういうときは余計に「〜しようってアルさんが自分から言ったじゃん…」と感じてしまっていた。)

 前回のマジョリティとマイノリティの話にも繋がるのだけれど、マジョリティ側はどうしても自分の言動がマイノリティに与える効果に鈍感になりやすい。私とアルさんの間に信頼関係があって愛情があっても、マジョリティである私の言動は暴力的な効果をもたらすことがある。たったそれだけの事実と向き合うのでさえ簡単ではなかった。なぜ、アルさんは普段あんなに私のことをわかってくれるのに、私が寂しがったりガッカリする気持ちをわかってくれないんだろうと逆に寂しく思ったりさえする。でも、まずは体調が悪いひとのことを気づかい、体調のせいで自分自身の身体が思うようにならない病人の気持ちに配慮すべきなのは私の方なのだ。

 私はとても感情的な人間なのでガッカリしなくなる自信は全くないし、ガッカリを態度に出さないようにする自信もあまりなかった。結婚後しばらくして、とりあえずの選択として、私はアルさんと一緒に何かをする計画を立てるのをやめた。もともと物事を計画してきっちりこなすのが好きな性格の私にとって何も計画を立てないというのはそれだけで居心地が悪かったが、計画通りにいかずにガッカリするよりは楽だと思ったからだ。それから、基本的にひとりで行動することを前提に計画を立てるようになった。その際、もしアルさんの体調がよければ一緒にできるようにプランBを用意するのも習慣になっていた。でも、せっかく一緒に暮らしているのにひとりで何かするのがデフォルトっていうのもどうなのか?と考えているとまた寂しくなってしまう。そして、また「なんでわかってくれないんだろう」へのループが始まってどこかでまた喧嘩してしまう。そんなことを繰り返してきている。

 正直なところ、今でも私は自分の気持ちを落ち着かせるのに苦労しているけれど、最近はアルさんと一緒に何かをする予定を立てることも、それを当日になって延期にしたり取りやめたりすることもできるようになってきた。以前よりアルさんともよく出かけるし、一緒になにかすることは多い。日時を動かせない予定や(アルさんの体調が悪いことが多い)午前中にやらなければいけないことは一人でするようにして、アルさんとは午後や夜に一緒に何かするようにしている。それでも、アルさんは多分そこそこ無理しているのだろうし、私のガッカリはバレてることも多い気がする。でも、一緒に暮らし始めた最初の頃を思えば、だいぶ無理を強いないですんでいるところも増えているはず。少しずつの前進ではあるものの、たとえ一歩ずつでも足を前に出すことをやめないでいたい。

 と、大まじめに言っておいてなんだが、一緒に暮らしていて、基本的にはいつも一緒に過ごしているのに「一緒にお出かけする」が延期になった程度でお前はなぜそんなにガッカリしてしまうのか?と自分に問うてみると、小さな子供だった頃の、お気に入りのぬいぐるみをいつも独り占めしていたかった頃の自分と同じ顔をした私が「アルさんと一緒がいいから」と駄々をこねているだけなので、まったく我ながら度し難い。

to be continued...


追記

これはアルさんの見解だが、私が異常にガッカリしてしまうのは私の気質に由来する部分もあるだろうが、それ以上に日本社会の福祉がしっかりしていないからではないか、と。

アルさん曰く、「病人を養いながら(ある意味では介護しながら)非常勤で働くえまさんの生活は、オーバーワーク気味になるだけでなく、将来への経済的不安も大きいから、意識していないかもしれないが、ものすごくストレスになっているはず。せめて楽しいことを一緒にして気分転換したいというのは人間の心理として当然のことだから、単にえまさんがワガママだからではないよ。」

 私は、確かに自分の意思で、アルさんの病気を知った上で結婚しているし、自分が家計を支えることを引き受けたけれど、そもそも就労が不可能な病人に年金を支給するか、せめて保険料等の減免措置くらいはあってもいいと思うし、個人の問題に回収せずに社会福祉の問題として捉えられる部分もあるのかもしれない。


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