灰色、不安、殺される覚悟

灰色に耐えるとはどういうことか。全く真っ黒の悪も全く白の善はない。灰色とは極端を想定しないことで、こうだと決めつない。相手がどういう人が断言できない。次に悪をなす可能性を感じつつ追求しないので、もしもを考えて不安を感じる。アニメ「ラディアン」で「(移民たちが)攻撃してくるので先に殺す」という思い込みで住民が動いた。あるいは虎を野に離すことかもしれない。予想がつかないのに、最悪の極端の事態を想定しないのは甘い。灰色を他人に強制するのもまた酷な話だと思う。偉い人には良く知りあう場を設けてくれないものかと思っている?最悪のことが頭をよぎるぐらい相手のことを予想できない、知らない。案ずるより産むは安しを忘れる。人を陥れる悪役ラングだとして寄付する設定を不思議に思わない。とか、家賃を滞納したとしていい男っぷりとは矛盾しない。全く良き人、悪い人はいなく、人から見て良い面、悪い面が同居するのが人間っス。その多様さを一面悪いように決めつけるのも偏見だと思う。悪い面しか日頃見ていないというのなら、いつも決まったパターンの時しか会っていない、いろんな場面で色んな反応をすることを忘れている。初めてあった人でも一緒の作業をすると仲良くなれるんすかね?

リベラルさんには何かお題を作って人がいろんな場面で一緒に作業する場を作ってもらいたいんす。人を良く知れば、十万人に一人の悪人(H29日本の殺人は920件。人口1億2千万としてパソコンの電卓で計算できないぐらい小さな値っす。移民大国になったとてここ5年で増えている傾向でもない)を想定する不安がなくなると思うんす。9万9999人は話す瀬もない人ではない。

いろんな場面で一緒に作業すると意外な面、尊敬できる面を見せられて偏見がなくなるだけでなく、自然と借りができる場面があるのもいいと思います。悪い面、迷惑をかけられたとしても、いい面を見せてもらっていれば、借りを返しただけです。継続的に貸し借りのやり取りができていれば、貸しが等しくなる点はない。どちらかが重いのが常として、あんまり悪い面に目くじらにもならんのではないのかと。自分の住む社会に対して、人にいろんな面を見せあう、貢献して、あるいは別の場面では助けてもらうボランティアって、いいと思うんすけどねー(なお僕はすでにかかわっていたりはするので、これ以上は無理っすと)行政がすべてをするんでなく、市民が生活を支えるのっての効用って広いと思うんだけどなー金の代わりに信頼が流通する。

「さらに言えば、単に「まちづくりに市民や事業者の力が必要」と言うだけではなく、市民に汗をかいてもらってまちづくりを進めた方が、「市民の要望に応え続けるよりも市民満足度や定住希望率が高くなる」と私は考えています。」(略)「しかし、子育て支援の取り組みが官民連携して進められ、特に自分も参加して子育てサークルを運営したような市民は、よほどのことがない限りその地域を動くことはありません。街に対する愛着がわき、活躍している自分を誇りに感じ、なにより日々の生活が楽しいからです。」
https://diamond.jp/articles/-/190601?page=4
「市民と行政がともに汗をかかない自治体は崩壊する」


銀英伝で悪役のラングが匿名で寄付をしていた人間の多面さをほめていたようなツイートを見た。でも僕は、銀英伝のそこの記述にも違和感があって、ま、当然のことを何を仰々しくっぽく。絵に描いたような悪役はいない。ハンターハンターのボマーが殺人犯で仲間には男気があるところも同様に、ま、そんなもんでしょ。水野良が勤勉な悪役でないと悪として魅力的でない(とは書いていなかったか)、勤勉さ、世間的に良しと言われることを全く体現しない人を仮定するのはどうかと思う派です。悪を誘発しやすい環境はあるでしょう。また、金色の朝顔はあるでしょう。B?L?級刑務所のやつも人殺しの論理も買ったけど怖くて読んでいないのは認める。でも、なんとなーくそういう人たちって、セルフイメージを壊さないところで秤にかけさせて、いいように操るような気もする。すまん、読んでない。

そうしないと生きられなかったのかというか、光市の事件で元少年が小学生の時だったか首つり自殺をした母親の片づけをしたとかも読んだ。過酷な状況があったとしてめげない人はいるけど、自分がそのめげない側に立てるかは全く自信はない。過酷な状況がなかったとして性格がひどいのか、感情移入を妨げるのか。と、そこで、自分の認知の限界を見るのか、本当に楽な環境だったのか、見えない(言わない)ところでなんかあったんじゃないのか、という想像力が完全な悪の想定を妨げる。そりゃね、しゃべれる人はいいんですよ。僕なんか意見を求められるのが少ないので、いざその場面だと頭が真っ白になるし、あがらなくても考えながら話すってできないから、訳分からないこと言ったりとか分からないと答えたりとか。で、感情移入できない絶対悪だったとして、それでもそう世間と会わない価値観で生まれついた悲しさを見る。僕、幼児性愛者じゃなく生まれて神様ありがとうとしか言えないもん。いや、被害にあったらキレるけどさ。

エリートサラリーマンが不動産経営をして初めて触れ合うタイプの賃借人とかツイートを見た。でも、たぶん、家をきれいに使う、とか、滞納するとかいう美点はなくとも、他のところで人間的に魅力があるっての想像力がないとはどういうことか。その人の生活の一面でしかいつも触れないってことではないかと。いろんな場面で触れる、当然ある尊敬できる一面も見る、生活を共にするって重みを考えている。

と、真っ黒な悪ではなく灰色に耐えることっっぽいツイートを見た。自分にとっては絶対的でないってことは、自分の過ちの可能性を捨てないことで、人から糾弾される立場を自覚することで、人に嵌められることを覚悟することだと思う。相手を悪と決めつけない想像力は自分が悪である可能性に思いをよぎらす。しかし、相手を悪と断言できないと、悪かもしれない可能性をみないことになるのか。トラを野に放って大けがするんじゃねつか。やっつけた方が安心できる。火竜退治のアシュラムさんで、魔術師を泳がして、結局味方にしたような器のでかさ、不安に耐えるのはまあ誰にでもできることでない。

マーベルの「ブラックパンサー」を見た(途中抜けたけど)。太古の昔、アフリカに特殊鉱物がもたらされ、その国は貧しいように思われているが実は超科学で豊かな国である。でも、もちろん他の国にこの秘密が知られるのは禁忌なのだ。鎖国ってますっぽいの。そこの王子(弟)が外の世界に出て、うちの科学で他の国薙ぎ払ってみんな豊かにしてやるぜっポイの。王子(弟)は殺されたが、王子(弟)の子供が殺人をためらわない人に育ちつつ、理想を夢見るっぽいのかなー(途中見てない)。いやね、正統王子が甘ちゃんで、そこ、秘密漏れるから、漏れたら大変なんだよと、あー僕も人を数字で見る人なのかなー絶対政治には近づいたらいけないなーと思いつつ見ていたものよ。

自分の命はともかく、自分の大切なものも天秤にかけるとなると、非情な選択も魅力的っす。灰色に耐えるってリベラル好きっすけど、害を与えられる不安と向き合うのってつらいっすよ。ラディアンで最初に弾圧する側が自分たちが殺されるから先に手を出すと正当化するの。灰色に耐えろというより最悪の想像をいかに止めるか機構作成に注力したほうが良い気がする?あるいは不安に耐えてよくなった経験を多めに積ますってどういうことだろう。そこでサクッと切り捨てる、関係ない人と割らないための、人の多面性だと思う。ラングとか相手を偏見で見ない訓練つか、意外性を見る経験を多くする。そこで、相手の良い面を伸ばすにはそれこそ原則でなく人によって方法は違う灰色っすか。原則がない、先の見えなさをどう克服するのか。何が起こるか分からないけど、楽観的なシナリオを共有するって数多く触れる刷り込み現象でしかないのか。

不安が誘発される仕組みって何だろう?余裕とか。安倍政権になって自殺者は減ったのか。明日の飯の心配をするとかはなくなっても、少し先の不安はなくならない。なんか問題があっても、それは永劫のことではなくて、技術が発展して何とかなるってレベルファイブのガンダムか(見てない)。オプシーボも完全にコントロールに置かれたのか
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/ryuniki-2

問題はあったとして、解決できて来た社会を喧伝するのか、不安を言い立てるのかって不安掻き立て経済学者の方が儲かるのか、社会への信頼ってどんなものかといえば、不安があっても満足できるとは?何とかなるの精神で生きられるとは?何とかなってきた経験があるのか、期待値を低めに持つって僕の戦略っすが、どうなのか。


「先の見えなさ」が不安なら、相手を良く「知る」こと。人を良く知れば、十万人に一人の悪人(H29日本の殺人は920件。人口1億2千万としてパソコンの電卓で計算できないぐらい小さな値っす。移民大国になったとてここ5年で増えている傾向でもない)を想定する不安がなくなると思うんす。ヤバい人はそうは転がっていない。案ずるより産むがやすしなのです。様々な場面で接触するのは相手に対して悪い不安の見通しを減らすっつー意味もあるか。ここは任せられないけど、そこは大丈夫っぽいノウハウとか。凸凹があっても助け合えるってリベラルっすが、知り合いにならないと発動しないもんなのか、とか。

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それと相手に負担がある、迷惑かけるとしても長期間続く貸し借りの一端としての借りとしての関係作りもありではないかというのが前回のnoteです。貸し借りってのはいつも等しいわけではなく、ある時は自分に貸しが多く、ある時は相手にとシーソーゲームです。シーソーゲームが続くって予想するので、一時自分の方が重くなっても気にならない。関係が長く続くってのは大事っすね。違う信条でも生活を共にするってありふれていて、でも現在は生活圏が全く交わらなくなったのか。政治のことは話題にしない。それで会話が成り立った昔と、政治を抜きにしたら接点がなくなった現在って言えるか?僕としては、いろんな場面で一緒に作業するとは、継続的な貸し借りの復活はって考えてるんすが、あり得ないのか。

と言うか、人間は先のことが分からないのに、起こることに確信があるって、信じることか、どの程度が根拠ある考えることとの違いも考えていたりする。根拠が他人から見て説得力あるかどうかの考える/信じるです。信じる心は時に美しく自己犠牲となり、時に他人を糾弾する。靴に足を合わせるってことを考えています。人間の性質に合わない思想を前提に制度を作ること。こどもが「〇〇してって言ったでしょ」と怒るんだが、言ったから相手が動いてくれるってことはない。子どもの行動っす。言葉の強制力の根源にどこを想定するのか。吹き上がる人を糾弾するのではなく、どうしたら仲良くなれるのか、仕組みを考えてもいいと思うんすが。

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ホルモンの血中濃度うんたらで薬を追加とかインフルとかで振り回されて、魚の水を3週間変えなかったら、ドジョウが一匹ご臨終いたしました。すまざったー水換えついでに、ろ過装置を強力なのに変えたら、水の透明度が上がって、残りは長生きしてください。パシャパシャ跳ねて、元気になってよかったす?

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