マリみてSS「Presence」

お題:鳥居江利子(2023/03/22)

「どういうつもりなの?」
放課後の教室。
私、鳥居江利子は目の前の少女に言った。
襟足で真っ直ぐに切り揃えられた髪と切れ長の瞳は、同年代の私達より二つも三つも大人びて見える。
そんな私の問いかけに彼女は。
手元の書類に落とした視線を上げたので、自然と見つめ合う形になった。
水野蓉子。
恐らく、自分が死ぬ間際でもその名は忘れないだろう。
私から”一番”を奪い取った敵として。
「どう、って言われても、その言葉の意味が分からないから、答えようがないわ」
彼女は邪気のない言葉を返す。
いや、邪気を隠せるほどに、彼女は大人なのだろう。
そして私は、新入生代表挨拶の座―つまりはリリアンの入学試験の成績優秀者の座―を奪われたということを、未だに捨てきれずにいる子供なのだろう。
「蓉子さんを補佐する役なんて要らないでしょうよ」
事実、外部受験組でありながら、蓉子はものの二、三日でリリアンに馴染んでみせた。
誰にでも気後れすることなくコミュニケーションを取り、自分の知らないリリアンのしきたりには素直に教えを乞うた。
私の中のさやかな意地悪で、名前で呼び合うリリアンの習慣を教えなかったのに、それもまたものの数日で適応してみせた。
誰かが教えたのか。はたまた自分から聞きに行ったのかは定かではないが。
「あら、そんなことないわよ」
クラス委員として蓉子を推薦したら、蓉子さんは自分の補佐として私を指名してきた。
こうなると、推薦した手前もあって、私は断るに断れない。
外部受験の自分一人ではクラス委員は務まらない、というのが蓉子さんの弁だったが、そんなもの嘘に決まっているのだ。
だから。
「どうかしらね」
きっと、報復なのだ。
一番を手に入れることのできる者は―自覚しているのかいないのかは知らないが―一番になれなかった者から一番を奪い取っていく。
努力しなくてもい点数を取れた鳥居江利子という存在を奪い取って、この上、蓉子さんは私からなにを奪い取る気なのだろうか。
私のこの意地の悪い言葉に。
蓉子さんは、フッと笑った。
「私は江利子さんと組んでよかったと思っているわ」
よくもそんな方便をスラスラと。私は頬杖をついた。
中等部から入った蓉子さんは知らないだろうが、そんな嘘はマリアさまが見透かしてしまうに違いない。
しばしの沈黙の後、蓉子さんが口を開く。
「江利子さんは…」
蓉子さんの真っ直ぐな瞳が、私を射抜く。
「どうして、いつもつまらなそうにしているのかしら?」
水野蓉子は、遠慮がない。良くも悪くも、だ。
私はため息をついた。
「そうそう世の中に楽しいことなんて無いわよ」
昔は色んな事が楽しかった。
未知の世界。
自分の無限の可能性を信じて疑わなかった。
それも、一つ一つ大人になるにつれ、分かってくる。
どの世界にも、上には上がいて。
自分がその頂点に立つことはできなくて。
無限の可能性なんてないのだと。
「あら?私は楽しいわよ」
そりゃあそうだろう、と私は思った。
外部から遮断されたリリアンは、他所の学校生活とは異質なのだから。見るもの触れるものが新鮮に映るだろう。
「それにね、江利子さん」
見透かされている。そう思った。
「私は、こう思うんだけど…」

「『楽しいことは”待つ”んじゃなくて”作り出しちゃえばいい”』、か…」
あの会話から三年経った。
今思えば、あの時はどこか憎たらしいほど大人びた蓉子が羨ましかったのかもしれない。
「なに?なにか悩みでもあるの?」
隣を歩く蓉子が話しかけてくる。
もう、あの時の会話なんて忘れてしまっているだろうな、と思った。
「もう解決したから心配していただかなくても結構よ。蓉子は本当にお節介なんだから」
傍目には嫌味に聞こえるこの言葉だって、蓉子にはちゃんと伝わっている。
私に嫌味なんてないことを。
そして嫌味なんて含めずに私が話していることだって。
私は用事があるからと言うと、蓉子は小さく手を降って別れた。
私はひとつ上の教室へと足を向けた。

「姉妹の話、考えてくれた?」
「ええ、そのロザリオ―お受け致します。黄薔薇のつぼみ」
楽しむためだけに、物事を決めたっていい。
あの時の蓉子が言ってくれた言葉に、私は救われたのだ。
私の首に、ロザリオがかけられる。
それは、ただのロザリオじゃなくて。
黄薔薇のつぼみの妹としての生活が始まることを意味していて。
そしてそれはきっと、楽しいものに違いないのだ。

あとがき
Presence。「存在」という意味だそうで。
いとしき歳月(後編)で、江利子さまと蓉子さまの初対面の時のお話がありましたが、それの続きを想像してみました。
蓉子さま、聖さま、江利子さまは、それぞれ三者ともに初印象はあまり良くなかった(蓉子さま→聖さまはそうでもない)ですが、それが私達の知る三薔薇さまの仲の良さとか、性格形成になったのは、蓉子さまの存在があったからだと思うんですよね。
というお話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?