マリみてSS「私の居るべき場所」

お題:武嶋蔦子(2023/05/17)

女の子たちの笑い声と、シャッター音。
思えば、ずいぶんな世の中になったものだ。
デジタルカメラが出てきたと思えば。
カメラ付きケータイが出てきたと思って。
それが今ではスマートフォン。
自撮りに興じる彼女たちを、蔦子は、懐かしむように、あるいは羨むように眺めた。
もうリリアンを卒業して二十年以上経った。
今のリリアンのことは知らないが、流石にスマートフォンの携帯くらいは許してくれるだろう。
さもなくば、暴動でも起きてしまう。
そこまで頭の固い学校ではないはずだ。
マリア様に見守られた子羊たちが、それで悪さをしようはずがないのだから。
そう考えると、自分は恵まれた時代にリリアンにいたと思う。
あんな時代にカメラを持っている女子高生なんて稀だったし。
今思えば、あの時に瞬間瞬間を切り取り保存できる自分は、特別な存在だったと浮かれていたかもしれない。
それができる自分だからこそ、特別な瞬間に立ち会うことができたことだって多々あった。
(それが今じゃあ、ボタン一つでオッケーだもんなあ)
いいことだとは思う。
思い出を思い出のまま記憶しておくのもいいけれど、目に見えるものに、形として残しておけるものにできるのは、尊いことだ。
とはいえ、修正も、再撮影も、タッチ一つでできてしまうというのは。
(軽すぎる、わね)
自分は、写真一つに、心の底から向き合ってきたつもりだった。
シャッターボタンを押すたびに、被写体と正面から向き合ってきた。
分かっている。
フィルム一枚の貴重さも。
シャッターボタンを押す緊張感も。
現像するまで何が出てくるか分からないワクワク感も。
今の時代には、求められていないのだ。
それは多分、自分もそうで。
今の自分がリリアンにいたって、誰からも求められはしないのだ
帰ろう。
一抹の寂しさを、手持ちの一眼レフカメラと一緒に鞄に仕舞い込んで。
私は、帰路についた。

過去は過去のまま。
思い出は思い出のまま。
もし、ふとした時に。
誰かが私の写真を見て、その瞬間を思い出してくれるとしたら。
そうなってくれたら、嬉しいなと思うのだ。
そして、今は今で。
私は自宅の扉を開ける。
私が居るべき場所。
私が帰るべき場所。
「お帰りなさい」
声がする。
私が居ていい場所。
私が帰っていい場所。
あの時仕舞い込んだ寂しさは、もうどこにもない。
「ただいま、笙子」

あとがき
「少し遠い未来の蔦笙」というイメージで書きました。
僕にしては珍しく、バラや植物でも音楽由来でもないオリジナルなタイトルです。(思い付かなかっただけですけども…)
蔦子さんは今のスマホ全盛期には何を思うのでしょうね。

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